(前日からの続き)
人間のいのちが
どんなに
自由で
明るく
無邪気な
神への愛と
人への愛に
みちたものであるか
この一点を
示されるために
神様は
五井昌久という
働きの場所を
お使い下さったのです
決して私がとびぬけていた
わけではありません
私が特別
とびぬけたすぐれた人間で
あったわけではないのです
ただ
私は
どんな時にも
神様に素直だった
神様の前に
いのちを
投げ出して
完きよろこびに
あふれこそすれ
それを
一度も後悔したことのない
人間だった
ただ
それだけなのです
そして
これは
こういうことは
私一人に
おきることではないのです
実は
人間の真性は
本来そういう
すなおな
光にみちた
ものなのです
(つづく)
人間のいのちが
どんなに
自由で
明るく
無邪気な
神への愛と
人への愛に
みちたものであるか
この一点を
示されるために
神様は
五井昌久という
働きの場所を
お使い下さったのです
決して私がとびぬけていた
わけではありません
私が特別
とびぬけたすぐれた人間で
あったわけではないのです
ただ
私は
どんな時にも
神様に素直だった
神様の前に
いのちを
投げ出して
完きよろこびに
あふれこそすれ
それを
一度も後悔したことのない
人間だった
ただ
それだけなのです
そして
これは
こういうことは
私一人に
おきることではないのです
実は
人間の真性は
本来そういう
すなおな
光にみちた
ものなのです
(つづく)