人は、ふるさとびと

お帰りなさい と迎えて
下さる神様は、私達の
ふるさとなんです。

(記事はリンクフリーです♪)

日本語と英語のお祈りの働きの違いについて

2012-04-20 11:48:42 | スピリチュアル
 (問)世界各国のお祈りの時に、日本語と英語で
やりますが、これは、日本語と英語とはその働き
といいますか、意味合いが違いますか。

 (答)縦の波と横の波があるんですね。
 日本語の波というのは縦の波なんですよ。
 英語の波というのは横の波なんですよね。
 縦横というのは言葉の違いだけみたいに
思うけれども、いつも言っている縦と横の十字、
十字架の十字交差、つまり、愛の完成、神様の
愛の完成、人間の愛の完成、縦横交差して
完全な愛の完成というものがなかったら、調和
になってゆかないですよね。

 さっきの話の続きになりますけれど、結局
日本というのは、その光というものを皆に分け与える
というか、その天命が日本にある訳ですから、
元々皆神の子ですから、それを知らせる役割が
ある訳ですからね。で、それが、世界人類が平和で
ありますようにという日本語なんですね。そして、
英語で代表させていますけれど、英語だけでなく
外国の言葉というのは、皆みんな兄弟なんだな
という横でずっと広がっていく、その横のつながりを
表わしているのが外国語なんです。

 ですから、少々辛どくても、両方唱えることは、
本当の神様の愛、人間の神性、真実の愛というものは
どういうものかということを、知らず知らずの間に、
両方唱えることで、完全な愛を唱える、宣り出してる
ということになる訳です。


 (問)エスペラント語がありますが、将来、10年
20年先には、世界が平和になった時には、そういう
共通語になるんでしょうか。言葉はそれぞれ
分かれていても。

 (答)段々言葉というのは要らなくなりますね。
 元に戻っていくというのか、それこそ和顔愛語
じゃないけれど、笑っているだけでよろしい、
ほんとにそれだけになりますよ。

 昔の人間というのは、神様と自由に話が出来て、
神霊と話が出来て、光の柱が建つのが見えていた頃
というのは、自分が出す言葉というのは神様から
来ているというのが分かるし、自分の体というのは
光に満ちていることが分かるから、そこで本当に
素直になっていた訳ですね。

ですから、本当に地上が天国になり平和になって
人類が完成していけば、それは霊界と神界と一緒に
なる訳ですからね。その神界は何かといいますと、
想いが輝いている所、本心が輝いている所なんですね。
 我々肉体人間の考えている言葉っていうものよりも、
もっと奥深い、もっと智恵に満ちてね、神様の言葉、
それは口に出す言葉でない言葉ですよね。奥の奥の
ひびき。人間が何処の国の人であっても、愛する
ことはいいなあ、あの人は本当に寂しいだろうなあ
と想う、その想いの奥にある共通のひびきでもって
話をする、という風になっていくんですね。

 だから、言葉というのは、なにも口で話して耳で
聞いてと、それで出る言葉じゃないんです。
 体中で人間は喋っているんですね。そのところを
分かってもらえると、随分心が広くなると思うんです。

ポスターとピースポールの働きについて

2012-04-19 11:22:41 | スピリチュアル
 (問)ポスターとピースポールは働きは全く
同じですか。

 (答)働きは一緒です。全く一緒です。
 ピースポールというのは、こちらから観て、
こちら側って分かるかしら。つまり、前に
ピースセレモニーの時立てる国旗について
言いましたけれど、次はトルコの旗ですよ、次は
アメリカの旗ですよと国旗を掲げる。その旗を
目印に、こちら側から光を送る。それと同じように、
何か浄めて欲しいなという所にピースポールを
立てると、ああこの辺に光を放射すれば
いいんだなと。要するに、地上に降りて来た霊人達、
即ちピースポールを運んで来た人の守護霊
守護神さん、上から光を放射する天地の住人達、
あるいは高級神霊とか、そういう所から光を、ああ
この位投げかければいいな、あそこには
こういう風に立っているから、ここにはこういう
光をもっていけばいいなという目印になるんです。

 ポスターは、あれだけで何百キロ四方光を放って
ゆく訳なんです。で、ピースポールというのは何か
と言ったら、つまり、世界人類が平和で
ありますようにというのは、さっきも言ったように、
宇宙語ですが、地球人というのはまだ悲しいことに、
宇宙人的な規模でものを考えられなくなっている。
 ただ世界人類というところまでは広がっている訳
なんですね。ですから、世界共通語の幾つかの
代表的な言葉をしるす事によって、我々地上に
生きている人間は縦にも横にも、とに角平等に
縦横につながっている、愛の生命、光の生命
なんですよ、兄弟なんですよという事を、皆の
心の中に世の中に呼び醒ます。その意味で、
ピースポールというのは、世界人類という想いを
世界中の人達に、日本から出て行って世界中の人が
世界人類が平和でありますようにという、英語
でない日本語の最初のポスターというのは、まず
日本というのは日(霊)の本ですから、つまり、
そういう世界人類が平和である宇宙人類が平和で
ありますようにという、その元々の神様の御心を
現す天命が日本にある訳ですから、その天命を
白光の人でも白光でない人にもそれぞれの奥底に、
日本人はこういう天命を持っているんですよ
という事を知らせる、そういう役割があのポスター
にあるんですね。それぞれの本心の中に灯を
燈(とも)して、ああいい言葉だなあと。もう
それだけで、あと守護霊守護神さんが、
そうなんですそうなんです、ありがとう
ございましたと聞こえて来るんですよね。目に
ふれた人はそれだけで、ポスターを貼らなくとも、
あの光の中にすっと入る訳なんです。それだけの
力をあのポスターは持っている訳なんですよね、
運命修正していくね。
 その人の生命を光に満たしていく力を持っている
訳なんです。それが段々世界という人になって
来たから、横の英語のポスターが次にあって、
それから世界各国にと広がって来た訳ですよね。


 (問)光の強さは全く一緒ですか。
       
 (答)一緒です一緒です。色んな国の人、色んな
民族の人が心を一つにして祈っていったら、それは
それだけ光が強まりますよね。色んな天地の人が
一つに溶け合って祈るっていうことですから、
これは本当に宇宙の調和に満ちさせるという
大目的にかなうという事ですからね。

ピースポール建立について

2012-04-18 12:06:18 | スピリチュアル
 (問)前にもお聞きしましたが、ピースポール
建立についてお教え下さい。


 (答)ピースポールというのはとても良い発明
だったと思いますね。あれで光が世界中に
ともっていくというのは、一つの人間側の発明
でしたけれども、こちら側から観ていると、
神霊界の方で、どうやって世界人類が平和で
ありますようにという祈り言をやってゆくか
という中で、ピースポールは前から出ていた
話でね。

 そして、光が満ちてゆく過程というのは、
こちらから見ていて頼もしく思ってた訳ですけれど、
ただ、どんどんお金を出して外国に運んで、
あるいは古戦場に立ててね、立ったからもうそれで
いいかというと、そうじゃないんですよね。立てる
人の気持ちがどれ程祈り心になっているか
いないかで、輝き方が違うんですよ。お金だけで
財力をたのんで千本立ててもね、そりゃあそれで
輝きます、それで救われていきますけど、救われ方
とか、その人の魂、立てた人の魂がどれ程進化発展
してゆくかということになると、まだまだその人は
苦労しないと、ピースポール立てた位では駄目
なんですよ。自分でやっぱり苦労してぶつかってね、
ああ弱いということはこういうことか、人の気持ち、
辛いということはこういうことか、ということが
分かって、あの人の所にピースポールを立てて
あげたいなと思って立てた一本のピースポール
というのは、これまで立てた千本のピースポール
よりも輝くんですよね。

 何でもそうですけれど、物でもお金でも、
すべての物というのは生命の源から出来てきてるん
ですから、そこをずっとつきつめて行くと
光なんですよ。全部に光がこめられているという
想いで、人も物も回りを観ていけば、全部が光るん
です。ですから、何もピースポールを立てなくても、
皆さん光なんですから、光を持っていればそれで
浄まるものなんだけれど、しかし、その人自身が
とってもじゃないけれど病気で行けないとか、
心身共に弱くて行けないとか、そういう為に、
ピースポールというのは神界の光を受けて立って
いる訳ですから、それはそれでいいですけれど、
ただ神様を頼るだけでは人間の進化、人類の進化は
なって行かない訳ですからね。

 人間も神様も共に一つの大調和の深い世界を
創って行く為には、人間自身も魂の成長という事を
喜んで受ける覚悟がないと、やっぱり日本、世界は
本当の意味で平和になっていかないんですよね。
 ですから、心を深くするという事が一番大事な
ことなんですね。

本部に行けない人の救われについて

2012-04-17 09:32:43 | スピリチュアル
 (問)本部に行けない人が沢山おられます。
 交通費や色んな事情で、でもこれらの人も同じ
救われがあるかという事について、お伺い致します。


 (答)それはね、何度も話しているように、人間
というのは肉体だけでなく、色んな体を持っている
自由自在身な訳ですから、本部へ行く人だけが
救われて、練成会で徳を積んで行くかというと、
そうじゃないんです。行きたくてもお金が無い、
何万円も出せない、五井先生すみません、と言って
下さる地方の会員の方というのは、実は
自由自在身でもうとっくの昔に誰よりも早く本部に
着いて、お祈り始めてね、印きって、想いを
届かせて光を届かせてやって下さる訳なんですよ。

 そういう点で観れば、実際に肉体で足を運んで
いる人も運んでいない人も皆一緒で、同じように
修行して、同じように光を受けて、同じように
悩んで苦しんで、一歩ずつ昇って行く。そういう
点で、神様というのは本当に平等なんですね。
 ですから、行かない人は徳が積めないとか、
行かない人は何か疎外されているように思うとか、
そういうことは一切思うことないんですよ。
 行ける人は、前にも言ったけれど、行けない人の
霊体をひっくるめて、全部連れて行っていると
思えばいいんですよ。実際にそうなんですからね。

自殺した人の霊について(子供も含む)

2012-04-16 08:41:19 | スピリチュアル
 (問)自殺した人の霊はどうなるかということを
お教え下さい。

 (答)どこへ行くかということですか。
自殺するって、本当に色んな原因があって、誰も
自殺したくってする人はないんだけれども、
ただ稀に菩薩行で自殺する人があるんですよね。
 全部業を引き受けちゃって、そういう自殺の
場合は、自殺しても苦しい世界に行かないんですよ。
 自分が全部引き受けて死にますのでね。 


 (問)子供なんかどうなんですか。自殺しますが、
あれなんかどう解釈したらいいのか、又、残された
遺族の方については。

 (答)あれは本当にね、菩薩行もあるけれども、
あの多くは、何か遊ばれてね、色んなものに
とり憑かれて死んじゃうという事あるんですよ。
 つまり、それこそ幽界の低級霊なんかに憑依
されてね、あるんですね。

 それはその人が、神様を信じないから良くない
とかそんな事私は言うつもりは全くないけれど、
結局何故そうなるかというと、親が子供を本当の
意味で愛しているか愛していないか、つまり、
愛情のすれ違いがあるのかないのか、そういう
ところなんですよ。気持ちが通い合っているのか
いないのかね。相手を理解しているのかいないのか
という、そこがすれ違っちゃうと、人間というのは
寂しくなるんですよ。どんな小さな事柄でもね。

 おそらく小学校卒業する位までの子供で、自殺を
考えなかった子供というと、今ほとんどいない、
100人の中99人まで自殺を考えたという子供が、
沢山いるんじゃないかしらね。それは異常なことだ
というんじゃなくて、人間というのは生きてゆく
中で、死んでしまいたいという事が何度も何度も
あってそこを越えて生きて行く訳ですよね。
 ところがその子供達の場合は、子供でなくて
いいけれども、自殺してしまう人というのは、
そこのところが自分の心にも歯止めが効かないし、
誰も止めてくれないという絶望感があって、そこで
死んじゃう訳なんですよ。

 それはその人の因縁とか何とか、宗教的にみれば
前生がどうのこうのとあることはあるけれども、
だけれども、そんなんで片付けられたんじゃ
あまりにも寂しいわけ。それよりは、本当に親が
親の役目というか、親が精一杯子供を向いて、
色んな面から子供の人生を考えて、腹を立てずに
見守って、子供は子供で親にちゃんと伝えてくる
のかどうか、その辺の基本的なところでね、今、
親は親になってない、子供は子供になっていない、
お互いに影響して非常に悲劇になって
来ていますよね。その辺のところだろう
と思うんですよ。

 だから、想いを放つというか、親が子供に対して、
自分はこれだけお前を見守っているんだよという、
本当に心配しているんだよという、その心が届いて
いれば子供は死なない訳ですよ。本当に自分を
見守ってくれている人がこの世の中に一人でも
いると、親が駄目なら友達がね、そういう人が居る
と思えば人間というのは死なないんですよね。
 自分が必要な存在なんだと思えば
死ねないんですよ。そこのところが皆、今ぎすぎす
して駄目になって来ているでしょう。ですから、
まず子供が子供がと言う前に、子供がどうやって
生きていくか不安だという前に、じゃあ親は
その子供に対して、あるいは親であることに対して、
自信を持っていますかというね、それぞれがみんな
自信を持って生きるという事に対して援助が
足りないんですよね。お互いにね。自分のとこだけ
良ければよいという、それだと皆が成り立って
ゆかないんですよね。

 だから私は、私のままでいい、貴女は貴女の
ままでいいから、そのままでいいから一緒に
頑張って行きましょうと。それがお互いに、ああ
私はこれでいいんだなという自信をつけてゆく
ということになりますから。ああ有りのままで
いいんだなという。
 だから、私の言ってる、消えてゆく姿で
世界平和の祈りというのは、その自分なりの
素のまま裸のまま、無一物のまんまでいいから、
後は全部神様が下さるから、そこで人間の素直な
裸の自分を出していく事に恐れないで、必ず
愛情は後にあるんだから恐れないでという事を
言う訳ですよね。

 そういう限定されない神様の愛というものを皆
知っていれば、自殺なんてしないんですよ。人間の
生命が続いていくということを知れば、本当に
死ぬ人なんて一人もいなくなるんですよ。
 ですけど、一足跳びに宗教というよりは、まず
現実的に親も子供もそれぞれ現場の中でちゃんと
生きているか、今どうなっているか、歪んじゃ
いないか、その辺の所に目配りして気配りする
人が増えてゆけば、隣の子供がああいう風に
言っていたが、あれはどうなっただろうという、
その想いをあげてゆけばね、行動しなくても想う
だけでも、その光が届いて行く訳ですよ。そういう
まず、心を豊かにする、気持ちをやわらかくする、
そこから始まっていかないと、これは救いようが
ないですよね。
 だから、自殺するのはどうしてだろう
というのは、それは寂しくって悲しくって
辛くって仕様がないから、そこでどうしょうも
なくて、自殺しかないんですよね。そこの孤独地獄
から救っていかなきゃいけないんですよ、自分も
人も。
 それには自分が心豊かに生きるというね、自分
だけがいいというんではなしに、自分が心豊かに
生きるということになれば、まわりも豊かに
なってゆく。回り道みたいだけれども、そこから
始まってゆかないと、人間が永生で永遠の生命を
持っていて、明るい朗らかな神様の生命そのもの
なんだという所までは、なかなか行かない訳
ですよね。

 ですから、あなたのまわりで、そういう風な
気になる子供とか親とかいたら、ほんの一瞬で
いいから想いを放って上げてね、ああ、あの人も
辛いだろうなあと、それだけでいいんですよ。
 それがくい止める事になるんですよ。生命を
救うことになっていくんです。