この宇宙の、絶対的要素!
「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」
「すべては、いま、ここに在る!」
おはようございます。
昨日、地下鉄の構内を歩いていると、久しぶりに見ました。
少ーし前を、傘で壁を叩くオッサン(というかちょっと若めかな)が振り返っ
て、後ろを4人で歩く若い女性たち(しかも横並び!迷惑!)に向かって
「・・・黙れ!さっきからうるさいんじゃ!!」
と大声で叫んでいるのを。
可哀そうに。
いや、その女性たちが、じゃないヨ。
彼女たちは、普段から調和と感謝が足りない。だからそういう場面に遭遇する。
これは100%、アタリマエのコト☆
可哀そうだと思ったのは、振り返ったオッサンの、怒りに歪んだ、悲しそうな
カオ。
怒りの表情は、ときとして悲しみが重なります。
それを見て、なんか一瞬で、
ああ、このひと、職場でも家でも、寂しくて悲しくて仕方ないんだな・・・・
いつもこころで泣いてるんだ・・・
オレは、もうこういう人生なんだ!って決めつけてしまってるんだ・・・・
(想像です)
と、感じてしまいました。
以前たしかエイブラハムの本だったと思うのですが、そういうひとに遭遇
したら、
「そのひとが清々しく安らかに、すべての制限から解放されて、喜びの中で
こころから感謝している姿を、想像してあげてください」
といったようなことが書いてありました。
このときも、なにを考えるでもなくとっさに、そのように想像していたのです
が、実はこの文章を初めて読んだときは、ただなんとなく、ああ・・・そうか。
そうするのが良いことなんだな・・・・としか感じませんでした。
でもいまは (以前よりも)そうすることの大事さが、より分かってきたように
思います。
どうか、調和と感謝に満ちた、人生を送れますように。
これって「祈り」だよね。
そしてこのひとの、こういう状況を見ることで、あー、僕はなんて幸せに暮らせ
ているんだろう・・・と、改めて感謝します。
この世界の、すべては循環します^^
少し前ですが
この冬、関西も大雪の日があり、その日もその影響がやや残る、といった感じ
でしたが、JRなどは、5分や10分の遅延で済んでいました。
でもそんな、たった5分程度の遅れでさえ、「・・・お忙しいみなさまには、
大変ご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします・・」なんてアナウンスが、
いつも入ります。
ちょっとしたことで怒るひとが居るんでしょうけれど、
僕はいつも思います。
いやいや、そんなに謝らなくていいよ。
いつもいつも、安全を気にしてくれて、便利に、しかも、この寒風の中を運んで
くれて、こちらこそありがとうだよ!
電車そのものに対して、運転士さん、車掌さん、この場に乗り合わせたみなさん、
そして、そうでないみなさんも、ありがとう。
乗り物に乗ったときはもちろんですが、もうこんな思考が、生活の中で完全に
クセになってます。
で、久しぶりにこういうこと書きますが
そうすると、満員電車の、僕の目の前の席だけが、ポンと空くんです。
「・・まあまあ、座ってよ!」と言われてます。
本当に(信じられないかもですが)ほぼ、いつも言われます(笑)
この状況、いやいや、もう少しで降りるからいいよ、なんて思って立ったまま居る
でしょ。
そうすると、また目の前でもう1席空くんです。
「まあまあ、そう言わずに!」って感じで(笑)
-満員電車の、僕の前の、その席だけが!
ああ、そうか。そうだよね。ありがとう。次降りるけど、座らせてもらうね^^
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ひとだけでなく、いろいろな「状況」からも提供される、幸せ(まあ、ここに
書いた座ることなんて、大したことないじゃない、と思われるでしょうが^^;)
さえ受け取れないひとは、きっと誰に対しても幸せをあげられないんじゃないかな
と思うんです。
与え、受け取り、循環する。
だから、目の前に差し出される好意や幸せは、それがあなたにとって、どれだけの
価値と感じようとも、大きな感謝とともに、素直に受け取りましょう。
そうすることで、あなたはさらにいろんなひとを幸せにして、いろんな状況を改善
する!
循環するこの世界は、そうなっているんだから。
最後に・・・これも電車の車内で、ですが、改めて思いました。
「うつむいて、スマホをヒュンヒュンやってるひとは、誰ひとり、あんまり幸せ
そうに見えない」
僕にはそう見えました。
そこまで、寸暇を惜しんで得ないと「いけない」情報ってなんでしょうね?
それらはすべて本当に、あなたの 「いま」「ここ」 に、必要な情報なので
しょうか。
前にも書きましたが、そんなときほど、いっぱい感謝出来ることを思い出してる
ほうが、100万倍実用的で、楽しいんだけどな。
「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」
「すべては、いま、ここに在る!」
おはようございます。
昨日、地下鉄の構内を歩いていると、久しぶりに見ました。
少ーし前を、傘で壁を叩くオッサン(というかちょっと若めかな)が振り返っ
て、後ろを4人で歩く若い女性たち(しかも横並び!迷惑!)に向かって
「・・・黙れ!さっきからうるさいんじゃ!!」
と大声で叫んでいるのを。
可哀そうに。
いや、その女性たちが、じゃないヨ。
彼女たちは、普段から調和と感謝が足りない。だからそういう場面に遭遇する。
これは100%、アタリマエのコト☆
可哀そうだと思ったのは、振り返ったオッサンの、怒りに歪んだ、悲しそうな
カオ。
怒りの表情は、ときとして悲しみが重なります。
それを見て、なんか一瞬で、
ああ、このひと、職場でも家でも、寂しくて悲しくて仕方ないんだな・・・・
いつもこころで泣いてるんだ・・・
オレは、もうこういう人生なんだ!って決めつけてしまってるんだ・・・・
(想像です)
と、感じてしまいました。
以前たしかエイブラハムの本だったと思うのですが、そういうひとに遭遇
したら、
「そのひとが清々しく安らかに、すべての制限から解放されて、喜びの中で
こころから感謝している姿を、想像してあげてください」
といったようなことが書いてありました。
このときも、なにを考えるでもなくとっさに、そのように想像していたのです
が、実はこの文章を初めて読んだときは、ただなんとなく、ああ・・・そうか。
そうするのが良いことなんだな・・・・としか感じませんでした。
でもいまは (以前よりも)そうすることの大事さが、より分かってきたように
思います。
どうか、調和と感謝に満ちた、人生を送れますように。
これって「祈り」だよね。
そしてこのひとの、こういう状況を見ることで、あー、僕はなんて幸せに暮らせ
ているんだろう・・・と、改めて感謝します。
この世界の、すべては循環します^^
少し前ですが
この冬、関西も大雪の日があり、その日もその影響がやや残る、といった感じ
でしたが、JRなどは、5分や10分の遅延で済んでいました。
でもそんな、たった5分程度の遅れでさえ、「・・・お忙しいみなさまには、
大変ご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします・・」なんてアナウンスが、
いつも入ります。
ちょっとしたことで怒るひとが居るんでしょうけれど、
僕はいつも思います。
いやいや、そんなに謝らなくていいよ。
いつもいつも、安全を気にしてくれて、便利に、しかも、この寒風の中を運んで
くれて、こちらこそありがとうだよ!
電車そのものに対して、運転士さん、車掌さん、この場に乗り合わせたみなさん、
そして、そうでないみなさんも、ありがとう。
乗り物に乗ったときはもちろんですが、もうこんな思考が、生活の中で完全に
クセになってます。
で、久しぶりにこういうこと書きますが
そうすると、満員電車の、僕の目の前の席だけが、ポンと空くんです。
「・・まあまあ、座ってよ!」と言われてます。
本当に(信じられないかもですが)ほぼ、いつも言われます(笑)
この状況、いやいや、もう少しで降りるからいいよ、なんて思って立ったまま居る
でしょ。
そうすると、また目の前でもう1席空くんです。
「まあまあ、そう言わずに!」って感じで(笑)
-満員電車の、僕の前の、その席だけが!
ああ、そうか。そうだよね。ありがとう。次降りるけど、座らせてもらうね^^
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ひとだけでなく、いろいろな「状況」からも提供される、幸せ(まあ、ここに
書いた座ることなんて、大したことないじゃない、と思われるでしょうが^^;)
さえ受け取れないひとは、きっと誰に対しても幸せをあげられないんじゃないかな
と思うんです。
与え、受け取り、循環する。
だから、目の前に差し出される好意や幸せは、それがあなたにとって、どれだけの
価値と感じようとも、大きな感謝とともに、素直に受け取りましょう。
そうすることで、あなたはさらにいろんなひとを幸せにして、いろんな状況を改善
する!
循環するこの世界は、そうなっているんだから。
最後に・・・これも電車の車内で、ですが、改めて思いました。
「うつむいて、スマホをヒュンヒュンやってるひとは、誰ひとり、あんまり幸せ
そうに見えない」
僕にはそう見えました。
そこまで、寸暇を惜しんで得ないと「いけない」情報ってなんでしょうね?
それらはすべて本当に、あなたの 「いま」「ここ」 に、必要な情報なので
しょうか。
前にも書きましたが、そんなときほど、いっぱい感謝出来ることを思い出してる
ほうが、100万倍実用的で、楽しいんだけどな。