プラネットネビュラさんの記事です。
バシャール:原因と結果
貴方には、無限大の『自分』が存在しています。
その意味は、「無限に異なるバージョンの自分」が存在している事を意味しています。
もしも今の瞬間、貴方は一駅手前で降りて歩く決断をするとします。
すると他のバージョンの貴方もまた、異なる決断をする事で”全体の体験”を満たしている
のです。
もっと違う言い方をすると、”今ここの貴方”は、一つの大きな鏡が割れて無数の断片に
散っていった、その一片だと捉えます。
てんてんバラバラに散った鏡の一片のそれぞれは貴方ですが、「異なるバージョンの貴方」
なのです。
一駅前で降り、コーヒーを買いにコンビニに入るバージョンの自分、
駅を降りて散歩がてらに歩くバージョンの自分、
普段通り降りる駅まで乗るバージョンの自分、、、、
そのどれもが”貴方”でありながらも 「異なる波動域に居る、異なるバージョンの貴方」
です。
そして貴方が ”駅を降りる”と決断を下した瞬間、他のバージョンの貴方も、その瞬間に
違う決断をしています。
このように、貴方は無数のバージョンの自分で無数の体験を得ているというわけなのです。
という事は、貴方が『一駅手前で降りる』という決断をしたおかげで、他のバージョンの
自分はもう『一駅手前で降りる』選択をできません。
よって、違う選択を余儀なくされるという事になるのでしょうか?
バシャールは以下のように答えています。
「それぞれの決断は『同時』に行われています。
ですから、”駅を降りる決断+降りた後の結果” は瞬時であり、同時です。
異なるバージョンの自分は、異なる決断を下し、すなわち”今ここ”の貴方と異なる体験
をしているのです。
ですから ”余儀なくされる”という考え方は”直線的”で、原因の次に結果、という
具合に、これが来たら次はこれ、ではなく、原因と結果も瞬時で、同時に起こっている
のです。
ですから答えはノーとなります。」
(転載終了)
想像できる限りの無数の「自分」が居て、
かつ時間は幻であり、直線的ではない、ということですね。。。
「同時に存在している」それも無限に、ってスゴイ!
いつもありがとう、バシャール!
バシャール:原因と結果
貴方には、無限大の『自分』が存在しています。
その意味は、「無限に異なるバージョンの自分」が存在している事を意味しています。
もしも今の瞬間、貴方は一駅手前で降りて歩く決断をするとします。
すると他のバージョンの貴方もまた、異なる決断をする事で”全体の体験”を満たしている
のです。
もっと違う言い方をすると、”今ここの貴方”は、一つの大きな鏡が割れて無数の断片に
散っていった、その一片だと捉えます。
てんてんバラバラに散った鏡の一片のそれぞれは貴方ですが、「異なるバージョンの貴方」
なのです。
一駅前で降り、コーヒーを買いにコンビニに入るバージョンの自分、
駅を降りて散歩がてらに歩くバージョンの自分、
普段通り降りる駅まで乗るバージョンの自分、、、、
そのどれもが”貴方”でありながらも 「異なる波動域に居る、異なるバージョンの貴方」
です。
そして貴方が ”駅を降りる”と決断を下した瞬間、他のバージョンの貴方も、その瞬間に
違う決断をしています。
このように、貴方は無数のバージョンの自分で無数の体験を得ているというわけなのです。
という事は、貴方が『一駅手前で降りる』という決断をしたおかげで、他のバージョンの
自分はもう『一駅手前で降りる』選択をできません。
よって、違う選択を余儀なくされるという事になるのでしょうか?
バシャールは以下のように答えています。
「それぞれの決断は『同時』に行われています。
ですから、”駅を降りる決断+降りた後の結果” は瞬時であり、同時です。
異なるバージョンの自分は、異なる決断を下し、すなわち”今ここ”の貴方と異なる体験
をしているのです。
ですから ”余儀なくされる”という考え方は”直線的”で、原因の次に結果、という
具合に、これが来たら次はこれ、ではなく、原因と結果も瞬時で、同時に起こっている
のです。
ですから答えはノーとなります。」
(転載終了)
想像できる限りの無数の「自分」が居て、
かつ時間は幻であり、直線的ではない、ということですね。。。
「同時に存在している」それも無限に、ってスゴイ!
いつもありがとう、バシャール!