類想と盗作 渕野陽鳥
国語辞典には「盗作とは他人の作品の一部または全部を自分の作品として発表すること」、「類想句とは俳句のもとになる発想が似ている句」とある。
俳句は言葉を5・7・5に当てはめて作るから、似たような構想や発想が生まれるのは多々あることではある。私の体験であるが、句会で投句した私の作品とまったく同じ俳句が、同じ句会で披講されたことがある。この時、とっさに私は名乗らずに、披講された投句者の作品としてもらったことがある。こうしたことは、17文字という短い言葉の制約があるから、あり得ないと思われることでもない。
俳句を詠んだら、俳句歳時記、SNS(インターネット上のコミュニティーサイト)、句集などと自作を照らし合わせてみる。発表した作品が独自性を持つことを心がけている。
日経俳壇の13句の中に掲載された梅本哲夫氏の俳句です。
わくわくすたかが大根の種蒔いて /有田 梅本哲夫
(2000年5月21日:日経俳壇/藤田湘子選)
ほどなく、NHK俳壇特選として次の俳句が放映された。
わくわくすたかが牛蒡の種蒔いて(作者名および選者名は省く)
NHKに日経俳壇に掲載された有田氏の句を知らせたところ、選者の某氏が「大根」よりも「牛蒡」のほうが優れている」との回答を寄せてきた。
それから19年後2019年5月21日の読売俳壇に次の俳句が私の目に留まった。
ときめくやたかが糸瓜の種を蒔き(作者名および選者名は省く)
牛蒡の句、糸瓜の句を類想句と見るか、盗作句と見るかはともかく、私には忘れがたい記憶である。
やっと俳句に復活しました。
昨日、竺源寺の残党と「類想と盗作」について話しました。彼は作者が見えない佳作を問題視していました。
本陣へまた伺わせていただきたいと存じています。