ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◆ なんだか、なんだか、ね。

                  
                    この橋、Jan van Goyen brog という名前が、ちゃんとついていた。
                    カタカナ表記だと、ヤン ファン ホイエン ブルフってうのかな。
                    


 30年以上前、生後2ヶ月の赤ん坊を連れて、オランダのライデンへ行った。
 
 乳母車の息子と、ライデンの町中を毎日、毎日、日照時間が少ないといって、ビタミンADの錠剤を赤ん坊に飲ませるような国で、陽に焼けるほど、私は好奇心、興味津々、この町を歩き回っていた。

 ある時、出くわした橋。
 それが、階段で、乳母車では渡れない。

 私は、その橋のたもとに、どうしたものかと佇んだ。
 
 仕方がない、遠回りするか、と思った時、

 橋を渡ってきた青年が、乳母車ごと、抱きかかえて、彼は来たばかりの橋を、戻ってくれたのだった。

 そのできごとは、私は、ライデンを去ってからも、
 そのことが心に残って……。


 あの橋は、どこだったんだろう…と思っても

 でも、ライデンを訪れること再三あったが、時間や、いろんな事情で、その橋を探すことができなかった。



 今回、時間もたっぷりあって、ipadを手に、記憶を、辿り、辿り、迷い、迷い、ながらも、
 幸いだったのは、ライデンの家々が石造り(煉瓦造り?)のせいで、32年が経っていても、面影がかすかに残っていたことだった。

 あの時の橋、その橋に、ようやく辿り着けた。

 奇跡だ、と思った。



 橋のたもとに立って、

 気がついたら、涙が、流れていた。

 不思議なことに、泣いているという実感もなく、
 あれ? ほっぺたに伝わってくるものはなんだ? と思った。

 ライデンに何度、訪れても、そんな感傷なんか、抱いたことがなかったので、正直、驚いた。





 このライデンの橋の話しと、まったく、関係のない話だけど、



 後藤竜二の『野心あらためず』の文庫が、この秋九月に出版され、

 あさのあつこさんの、解説から、私は読んだ。

 あさのさんが書かれていたことは、私も確かに覚えがあり……

 後藤さんって、そういう人だったという思いが、こみあげ、

 
 なんだか、知らないうちに、涙が、流れていたようだ。
 
 開いたページに、あれ、この水滴のしみはなんだ? 
 と思った。
 不思議なことに、自分の涙だという、実感はまったく、なかった。



 なんだろう。


 人の奥底の、奥底の、なにかに、響いたとき、なんだか、眼球とか、皮膚とかの、感覚も失せてしまって、ツゥーとひと筋、水滴がこぼれ落ちるらしい。



                



  



 後藤さんが唐突に、逝かれてから七年が経ってしまった。




 

 



 
 


 

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