表紙の絵に、ふと、ひとこと主(一言主)を連想してしまった。
一言主という神様は、時代によっていろいろに変容するのだけれども、私は雄略天皇が葛城山で出会った時の一言主のイメージが好きなのだ。
「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」
このキャッチフレーズ、カッコ良いでしょう。
などというようなことを思いながら表紙を開き、読み進むと、やっぱりこてんちゃんは、一言主だったのです!!
一言主は、常に神話の世界でも異端でした。
こてんちゃんも、この姿です。
現代の小学校に転校してきたら、まさに異端です。
こてんちゃんは、隣の席のゆず君に、ひと言、発します。
「なは なんという。」とか「あくしゅを したのだからな」とか。
この調子です。
クラスの中では、当然、異形な姿のこてんちゃんは、ああだこうだと言われてしまいますが、本人は意に介しません。
みんなと同じという雰囲気は、私が子ども時から最も苦手で、大嫌いなことででした。
よーく、見てほしいです。
人はみんな、みんな、違うのです。
目の形も、鼻の形も、背も、髪形も、服も、好きな食べ物も、嫌いな食べ物も。
同じものは、なにひとつない。
だから、友だちって、面白いのです。
それで、けんかにもなりますけど😂
みんなと、違っていい。
みんなと違う人が、いてもいい。
こてんちゃんの、その姿も言葉も、そして参観日に現れたお母さんも、ユニークさは抜群です。
これは作家いとうみくさんの発想力の凄さです。
子どもたちは、違うってことって、案外、面白いことかもって、興味が湧くに違いありません。
この物語『こてんちゃんがきた!』は、小学校の低学年のこどもたちに、きっと伝わると思える作品でした。
私は、この物語のエンディングが、特に好きです。
木に登って降りてくるこてんちゃん。
それを、心配しながら見ているゆず君。
「つい とんでしまった。 ほんとうは こどもは とんでは いけないのだぞ」
とこてんちゃんは、威張って公園を出ていったのですが、こてんちゃんの顔はあかかったのです。
こてんちゃんとゆず君の、心の通じ合い交差する描写が見事だと、思ったのです。
こういうのを、“ほっこり”というのでしょうか。