ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◇『同志少女よ、敵を撃て』  逢坂冬馬 作   早川書房

『同志少女よ、敵を撃て』

夜更かしはしないように気をつけながら、読んでいたけれど、後半3分の1まで、来たら、やっぱり夜が明けました。

読み終わって、時計を見たら午前7時。
カーテンを開けたら、私の視線の真っ正面に、朝陽がありました。
あったかい牛乳を飲んで、少し気持ちを静めて、蒲団にもぐり込みました。


『歌われなかった海賊へ』でも書いたけれど、この時代の独ソ戦についての書籍を読みあさっていたので、今回の『同志少女よ、敵を撃て』でも、背景や、状況が、まるで映画でも見るような既視感を覚えながら読んだ。

グーグルマップで、スターリングラードから、ウラヌスと、彼女たちが転戦していく場所を、いちいち確認する。
行った土地もあれば、行けなくなってしまった土地もある。

小説中に、ウクライナ人や、コサック人、更にクリミア半島のセバストポリという地名などが出てくる。
どうしても、今のウクライナの状況を考えずにはいられない。
ロシアの戦略は、あの時代から、まったく変わっていない。

結局、ロシアという国は、スターリンから何人もトップが変わり、政府というか国家の形態が変わっても、その内実が目指す方向性は変わらない。

そして現在の大統領プーチンは、かつてのスターリン時代のソ連を憧憬し、その実現を目論見、ウクライナに侵攻した。

ロシアは、逢坂冬馬が書くように、「ソ連という名の国家は、軋みながら進む砕氷船のようだ」と、現在のロシアについても、まったく同感である。

マルクスの経済理論は、きっと正しいのかも知れない。
でも、その理論を標榜した組織、国家は、どれもこれも、とんでもないほど、ろくでもない。


書籍巻末に「アガサ・クリスティー賞受賞」の選評にも書かれているとおり、デビュー作とは思えない完成度、臨場感に溢れ、デティールが豊かに描写され、カリーニングラードの戦いの章でのクライマックスは、ここで寝るなんて、とても無理。

エピローグには、1978年と記されていた。
作中、主人公のセラフィマが一通の手紙を受け取る。
スヴェトラーナ・アレグシエーヴィチからである。
『戦争は女の顔をしていない』の取材依頼である。

私は、背後の本棚に目を走らせる。
あった。 
なんやかんやのメモ書きがあって、奥付に2020年4月に読了と、鉛筆で記されていた。


* * * * *

ひと眠りしてから、やっぱり台所へ行く。
頭を、ひとまず、空っぽにしたい。

冷蔵庫から、野菜を取り出す。
ひとつひとつの、野菜をじっくりと、
フライパンで焼き付けていきました。
黄色と赤のパプリカ、長ネギ、蓮根、玉ネギの焼き浸しです。
緑がないのは、仕方ない。
冷蔵庫になかったんです。

浸し液は、日髙昆布で取っただし汁に、醤油、みりん、砂糖、黒酢、ポッカレモン少々投入です。

こちらは、しっかり一晩、寝かせよう。

調理は、己の気持ちに余裕を以て、手間を惜しまないほど、美味しい物ができる。
ふと、
文学も、だと、気付いた。
今ごろ。


<追記>
実を言うと、逢坂冬馬というペンネームが、何だかアイドル俳優の芸名みたいで、私の "食わず嫌い" が発動し、読まずじまいだったのです。
こういう偏向嗜好は、残り余生の時間を充実させて生きる為にも直さなきゃいけないと反省。


























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