一時、無彩色の食器は陰気だなぁと感じて、明るい彩色の食器を好むようになった。
でも、最近はまた無彩色の食器の方がいいなぁと思うようになって、天目の器や地味な和食器とか、ジノリのベッキオホワイトの食器とかが気分に合う。
いずれにしても、つい目先の手に取りやすい食器ばかりを使ってしまうが、この老い先を考えると、かつて好きだったはずで、それで求めて買ったはずの食器も思い出して、使うことにしよう。
その1。
とりあえず、季節の折々の煎茶の湯飲み茶碗。
この桜の花、ずっと忘れていた。
どのお茶碗も30年とか40年、経っている。
その2。
ティカップ。
ソーサーは6枚、カップは5個。そう、一個、割ったのだ。そのことを覚えている。
その3。
これは父の形見。
父が徴兵検査で合格した折に記念に父の親が買った物らしい。
九谷。
当時、徴兵検査が20歳で行われたのなら、今からほぼ90年ぐらい前のもの。
一度も使ったことがないけれど、使ってみようかな……。
となりの萩焼は、母が、買ってくれた物。
昔、札幌丸善のすみっこに、和食器屋さんがあって、私が手に取って眺めていたら、母が買ってくれた。
あの頃、私がオランダへ行く前、まだ子どもがいなかった頃、
よく母と丸善の地下にある喫茶店で待ち合わせをしたものだった……。