ケセランパサラン読書記 ーそして私の日々ー

◇ ひとりごと 「どこで なにになり 再び、巡り逢おうか」

夫は、フィンランドのルーテル派の、敬虔なプロテスタントなんです。

私の祖父は、いつからかも分からないほど江戸時代以前から続く曹洞宗のお寺の禅僧だったのです。

父は、そういう宗教的な雰囲気を嫌い実学の海洋土木の技術者になり、娘である私に、父は「お前の心はテレビではない。言葉で説明しろ」と、自分の心理状態を言語化することを求め、また人間が創造する目に見える技術というものを信じた人でした。

父は、観念とか、思想とか、文学とか、大嫌いだったんだと思います。
幼い時から、私が本を読んで没頭していると、よく叱られました。

ストーブの陰に座り込んで本ばかり読んでいる私に、父が常に言った言葉が、もうひとつあります。
「お前は、平野泰順の孫であって、私の娘ではない」と。
平野泰順とは、曹洞宗禅僧の私の祖父の名前です。

祖父は明治16年、南部岩手の寺に生まれ、長じて東京の現在の東洋大学で東洋思想を学んだ人です。
当時の南部を思えば、涙が出ます。
會津に殉じた南部です。


父が、形而上学的なことを嫌ったあまりに、気付かなかったことがあるのです。
実は、思想も、文学も、極めて目に見え、身体の五感で認識する世界なのです。
いずれも言語化しなくては存在も意味がないのです。
この視点では、父と私は、恐らく同じ基盤に居たのでしょう。
お互いに気付きませんでしたが。

でも、今思えば、笑えることもあります。
父は気付かなかったのか、気付いていたのか、知りません。
私は、本も好きでしたが、理科的な好奇心も強く、植物や動物の細胞とか、雪の結晶とか、地層とか、鉱石とか、光の屈折とかに、心奪われる子どもでした。
あの識らないことを識りたい好奇心は、今でもそのワクワク感を、思い出します。
理科系は、子どもの時から学生時代を通して、国語より、成績ははるかに良かったんです。

ところで、
私の前世の如くな邂逅のために、前ふりが長すぎました。

私は、たまたま、海外に住んだり、出かけたりするようになり、私は、自分の心が落ち着くところ、心に巻き起こる嵐が鎮まるところが、なんだかあるようだと気付いたみたいなのです。

教会です。
多分、きっと、それはローマカトリックの教会ではないかと思います。

なぜか、分からないのですが、私は、内陣の像に跪き、胸に手を置き、しばしの時間に、安寧を識るのです。
私の荒ぶるものを鎮めてくれるのです。

それで、冒頭の1行です。
夫は敬虔なフィランドのルーテル派、プロテスタントなんです。

私は、ローマカトリックに親和性があるようなのです。

夫と私。
父と私。
祖父と私。

誰かと私。

この詩の、心境に至ります。

どこで
なにになり
再び、巡り逢おうか

友人、MIHIKOちゃんの翻訳です。
キム・グァンソプ氏の詩です。



<余談>
私の名前を付けたのは祖父です。
現代では芸能人にも同じ名前の人がおり、珍しくもないように思いますが、私が小学校からの学校時代、変な名前だと思っていました。
今は、とても良い名前で、良い漢字をだと思っています。
祖父に感謝。

<余談2>
その父が嫌う祖父が、なんとロシア革命で逃げてきた女性に産ませたのが父なんです。
実のところ、祖父も、とんでもない禅僧だったようです。

















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