2011.1.6-10
ルアンパバーン(ラオス)
-3日目(午前)-
朝から目指すはメコン川約25km上流にあるパークウー洞窟
けど・・・
ボート高っ
どぉも午前中は貸切だけで、乗合は午後みたい
で、いろいろと交渉してたら、トゥクトゥクを紹介された
右がボートの船頭さん(弟)で、左がトゥクトゥクの運ちゃん(兄)
だけど~
乗っけてくれたのは少し離れた場所にいたお父さんの方だった(笑)
定価25万kip→19万kip(昨日のトゥクトゥクは定価20万kip→18万kip)
トゥクトゥクで走ること一時間でパークウーの村着
最後の11kmは完全な砂利道だったから疲れた~
ちっちゃい舟に乗って対岸の“パークウー洞窟”へ
写真で見えてる場所は“タムティン” さらに上の方には“タムプン”と呼ばれる真っ暗な横穴
これらの場所に4000体以上の仏像
タムプンでは、入り口で貸し出している有料の懐中電灯をスルーしてみたけど、暗くて見えん
そしたら、外に出ようとしている人が懐中電灯貸してくれた
助け合いは世界共通だね
もちろん、おいらが出るときもほかのひとに貸してあげたよ
(懐中電灯を貸し出す商売をしている人にとっては迷惑行為だけど、そこはスルーで)
パークウーの村に戻ったら子供たちが遊んでたのでパシャリ
この村では象乗りのツアーもあるみたい
-3日目(午後)-
午後は市街地南西部を徒歩で
昨日行った女性的な曲線が印象のワットビスンナラートに対して、
男性的な印象を持たせる“ワットタートルアン”
入場料20000kipかかるみたいなんだけど、誰も居なかったのでそぉ~っと侵入してしまった
目の前では子供たちがパチンコ
撃たれないように そぉ~っ
寺の裏側に狭~い抜け道があったので通り抜けてみたら、全く整備のされていない町並みにガラリと変化
小さ~い子供たちも外で元気に
何してるの
ほかの寺とは様式の異なる、ベトナム風の“ワットパバートタイ”
開いてなかった
ルアンパバーンのメインマーケット“タラートポーシー”をうろついた後は、
メコン川沿いのカフェで夕飯を食べながらの夕陽鑑賞
↓ラオス料理を代表する“ラープ”
肉や魚にレモンやライム汁、レモングラス、香草などを炒めたもので、
もちろん唐辛子は残した
明日はいよいよ最終日
とりあえず、ナイトマーケットで置物系のお土産を購入
こぉゆう人形好き~
-4日目-
とくに当てもなく近所をぶらぶら
美しい黄金の国土の新しい寺院という意味をもつ“ワットマイ”
壁にはインドの叙事詩“ラマーヤナ”のレリーフ
隣にあるルアンプラバーン国立博物館は館内撮影厳禁
カバンの持ち込みも禁止らしくて、入り口で止められてしまった
中は、王朝時代の繁栄を物語る調度品が展示されてたよ
同じ敷地内にある“パバーン像安置祠”
中も外も金ピカ
旅のラストはもちろん“フットマッサージ”1時間コース
左足をモミモミモミモミ
サービス(?)で左腕もモミモミモミモミ
そして、右足をモミモ・・・
一時間終了
えぇっ
右 足 ま だ パ ン パ ン
街中では菓子系のお土産を発見できなかったので、少し早めに空港へ
空港にお土産屋さんがない
近所の売店にもない
・・・
イミグレを通れば一軒くらいは・・・
って、イミグレにも気付かないほど何もない
結局、ハノイでの乗り継ぎ6時間待ちの間に、ベトナムと大きくロゴの入ったチョコレートを購入
まぁ、ラオスって国の存在すら知らない人がほとんどだからいいか(笑)
※※ラオス情報※※
ラオスはベトナム、中国、ミャンマー、タイ、カンボジアに囲まれた国で、
国土面積は日本の本州とほぼ同じだが、人口は約570万人。
アンコールワットのように壮大な遺跡があるわけでなし。
エメラルドグリーンの海が広がっているわけでもなし。
タイのトムヤンクンのような名の知れた料理があるわけでもない。
かつて、ランサーン王国として統一されたこの国は、その後、フランスのインドシナ連邦に編入された。
フランスによる統治やインドシナの戦火に巻き込まれるという歴史を経て、1975年「ラオス人民民主共和国」は誕生した。
今もなお、海外からの経済援助に頼っているが、
この国で暮らす人々の心は豊かさで満ちており、溢れんばかりの微笑みで、いつも私達を迎えてくれる。
(ラオス政府観光局より)
ルアンパバーンはランサン王国(1353-1975)の王都で、
古くはムアン・スワといい、その後シェントーン と呼ばれるようになった。
カーン川とメコン川の合流地点に位置する緑豊かな町ルアンパバーンは、
その美しいラオスらしい町並みと、歴史的、文化的遺跡保護の観点から、
1995年、ユネスコによって世界 遺産に指定された。
プーシーの丘から町並みが一望でき、ルアンパバーン名物でもある夕陽は荘厳だ。
(ラオス政府観光局より)
ルアンパバーン(ラオス)
-3日目(午前)-
朝から目指すはメコン川約25km上流にあるパークウー洞窟
けど・・・
ボート高っ
どぉも午前中は貸切だけで、乗合は午後みたい
で、いろいろと交渉してたら、トゥクトゥクを紹介された
右がボートの船頭さん(弟)で、左がトゥクトゥクの運ちゃん(兄)
だけど~
乗っけてくれたのは少し離れた場所にいたお父さんの方だった(笑)
定価25万kip→19万kip(昨日のトゥクトゥクは定価20万kip→18万kip)
トゥクトゥクで走ること一時間でパークウーの村着
最後の11kmは完全な砂利道だったから疲れた~
ちっちゃい舟に乗って対岸の“パークウー洞窟”へ
写真で見えてる場所は“タムティン” さらに上の方には“タムプン”と呼ばれる真っ暗な横穴
これらの場所に4000体以上の仏像
タムプンでは、入り口で貸し出している有料の懐中電灯をスルーしてみたけど、暗くて見えん
そしたら、外に出ようとしている人が懐中電灯貸してくれた
助け合いは世界共通だね
もちろん、おいらが出るときもほかのひとに貸してあげたよ
(懐中電灯を貸し出す商売をしている人にとっては迷惑行為だけど、そこはスルーで)
パークウーの村に戻ったら子供たちが遊んでたのでパシャリ
この村では象乗りのツアーもあるみたい
-3日目(午後)-
午後は市街地南西部を徒歩で
昨日行った女性的な曲線が印象のワットビスンナラートに対して、
男性的な印象を持たせる“ワットタートルアン”
入場料20000kipかかるみたいなんだけど、誰も居なかったのでそぉ~っと侵入してしまった
目の前では子供たちがパチンコ
撃たれないように そぉ~っ
寺の裏側に狭~い抜け道があったので通り抜けてみたら、全く整備のされていない町並みにガラリと変化
小さ~い子供たちも外で元気に
何してるの
ほかの寺とは様式の異なる、ベトナム風の“ワットパバートタイ”
開いてなかった
ルアンパバーンのメインマーケット“タラートポーシー”をうろついた後は、
メコン川沿いのカフェで夕飯を食べながらの夕陽鑑賞
↓ラオス料理を代表する“ラープ”
肉や魚にレモンやライム汁、レモングラス、香草などを炒めたもので、
もちろん唐辛子は残した
明日はいよいよ最終日
とりあえず、ナイトマーケットで置物系のお土産を購入
こぉゆう人形好き~
-4日目-
とくに当てもなく近所をぶらぶら
美しい黄金の国土の新しい寺院という意味をもつ“ワットマイ”
壁にはインドの叙事詩“ラマーヤナ”のレリーフ
隣にあるルアンプラバーン国立博物館は館内撮影厳禁
カバンの持ち込みも禁止らしくて、入り口で止められてしまった
中は、王朝時代の繁栄を物語る調度品が展示されてたよ
同じ敷地内にある“パバーン像安置祠”
中も外も金ピカ
旅のラストはもちろん“フットマッサージ”1時間コース
左足をモミモミモミモミ
サービス(?)で左腕もモミモミモミモミ
そして、右足をモミモ・・・
一時間終了
えぇっ
右 足 ま だ パ ン パ ン
街中では菓子系のお土産を発見できなかったので、少し早めに空港へ
空港にお土産屋さんがない
近所の売店にもない
・・・
イミグレを通れば一軒くらいは・・・
って、イミグレにも気付かないほど何もない
結局、ハノイでの乗り継ぎ6時間待ちの間に、ベトナムと大きくロゴの入ったチョコレートを購入
まぁ、ラオスって国の存在すら知らない人がほとんどだからいいか(笑)
※※ラオス情報※※
ラオスはベトナム、中国、ミャンマー、タイ、カンボジアに囲まれた国で、
国土面積は日本の本州とほぼ同じだが、人口は約570万人。
アンコールワットのように壮大な遺跡があるわけでなし。
エメラルドグリーンの海が広がっているわけでもなし。
タイのトムヤンクンのような名の知れた料理があるわけでもない。
かつて、ランサーン王国として統一されたこの国は、その後、フランスのインドシナ連邦に編入された。
フランスによる統治やインドシナの戦火に巻き込まれるという歴史を経て、1975年「ラオス人民民主共和国」は誕生した。
今もなお、海外からの経済援助に頼っているが、
この国で暮らす人々の心は豊かさで満ちており、溢れんばかりの微笑みで、いつも私達を迎えてくれる。
(ラオス政府観光局より)
ルアンパバーンはランサン王国(1353-1975)の王都で、
古くはムアン・スワといい、その後シェントーン と呼ばれるようになった。
カーン川とメコン川の合流地点に位置する緑豊かな町ルアンパバーンは、
その美しいラオスらしい町並みと、歴史的、文化的遺跡保護の観点から、
1995年、ユネスコによって世界 遺産に指定された。
プーシーの丘から町並みが一望でき、ルアンパバーン名物でもある夕陽は荘厳だ。
(ラオス政府観光局より)