異文化交流クイズ、サードシーズン「異文化間に芽生えた愛情とすれ違い」第8回。今回はシリーズ趣旨とズレますが、今日の日本オタクの「無口無表情キャラ好き」の源流を、グァテマラ人視点から探ります。かつての「綾波好き」「長門好き」などの方並びに日本人の萌えの原点を知りたい方は、今回だけでも是非ともお読み下さい。
グァテマラ出身の批評家兼作家にして、現代スペイン語散文の生みの親の一人と云われるエンリケ・ゴメス・カリージョが日本にやってきたのは日露戦争直後近辺。
このカリージョ、15歳で駐在外交官夫人とスキャンダルを起こしに始まり、絶え間ない女性遍歴、決闘騒ぎ、好奇心の赴くまま外国旅行と、かなり奔放な性格をしており、日本にやってきて当然の如く、吉原を訪れます。
常連となった妓楼で彼は十返舎一九執筆による『吉原暦』と云う名の吉原の解説本の普及版を見つけます。この本はフランスにおけるジャポニズム普及に貢献した作家エドモンド・ルイ・ゴンクールによって翻訳&注釈が付けられ、ヨーロッパでも広く普及していたのですが、これを本場の吉原で読むことで、カリージョは十返舎一九の慧眼に改めて驚きます。
『花魁の間で男を最も喜ばせる官能的な女は、猫のようにしなを作って笑う女ではなく、憂鬱そうに黙りこくって死ぬことを考えていそうな女だ』
要するに、所謂「綾波系」「長門系」と評される無口無表情キャラへの萌えは、既に江戸期には確立していたわけです。
もっともカリージョは一九を「鋭い目を持った心理学者である」と褒めていますが、つまるところ「この系統のキャラへの萌えは日本人に限らない」ということの証明でもありますね(笑)。
更に本筋から逸れますがもう一本。「とある物語」の粗筋をざっと紹介致しましょう。
『主人公は金もなく、力もなく、喧嘩をすれば必ず負ける19歳の少年。とある名店の養子になったのですが従業員に店を乗っ取られて、ボロ長屋に追放。
元従業員だった18歳の女の子はそんな主人公を見かねて、生活費を稼ぐために芸能界に。主人公に対して超ツンデレなこの彼女ですが、芸能界であっという間にのし上がっていきます。一方、主人公が養子に入っていた店の一人娘の15歳の少女は、元々許嫁だった主人公にベタ惚れ。
ここにめでたく(笑)三角関係が成立。この美少女二人は顔を合わすたびに嫉妬と当てこすりと涙の応酬。主人公はこの二人の間に挟まれ、いつもオロオロ。
そのくせこの主人公、顔だけは良いので、常にもてもて。ツンデレな彼女と同じ芸能人の女の子にも惚れられてしまい、それがバレて大騒動に発展したりと、大騒ぎな毎日が繰り広げられるのでした。。。』
さて「……それってどこの一昔前のラブコメ?」という展開のこの物語。
ですが発売当時大流行したこの作品の正体は、現在のラブコメ漫画でもエロゲでもなく……作品名は『春色梅児誉美』。
作者の名前は……『水野忠邦による天保の改革で手鎖の刑に処せられた』として日本史の教科書にも登場する『為永春水』だったりしますw。
なお上に紹介したあらすじは恐るべきことに「意図的な改変は一切ありません」。「芸能人=辰巳芸者」に置き換えたくらいで。
所謂『人情本』というジャンルを確立させたこの物語、恐らく日本の現在の美少女ラブコメの原型と呼ぶべきでしょう。
ちなみにこの物語、最後は悪が滅び、主人公は「とある大名家の重臣の御落胤」と判明してめでたくその家の相続人に。元許嫁は本妻に、ツンデレ芸者の彼女は側室に、という身も蓋もない完全無欠のハッピーエンド(笑)で幕を閉じます。
要するに、萌えの概念は江戸末期には確立し、既に我々の中に遺伝子レベルで刻み込まれていると云っても差し支えはないのでしょう!
なんとなく「……それでいいのか、日本人?」と云う気がしないでもないですが、きっとそれが日本人という人種にしみちレベルで刻まれているサガなのでしょうw。
さて全然話が逸れましたが。
カリージョは明治も終わりに近付いている時代であるにもかかわらず、いまなお吉原においては、男女の営みに至るまでの物凄く緩慢で煩雑な、昔ながらの手順が守られていることに感激します。
また伝説的な遊女について数多くの実例を聞かされた結果『無知な私はほんの数週間前まで、日本では遊女が誠実さの手本となりうるなどとは思いもしなかったのだ』とまで書き記しています。この点についてはまた稿を改めて取り上げることにして、今回はカリージョが書き記した遊郭での慣習からの今回のクエスチョン。
客から遊女にプレゼントを渡す際には部屋の中に必ず備えてある『あるもの』を介して行われ、遊女達はその中に入れられた恋文だの、プレゼントやら、春画などを大切にしていたようですが、この『あるもの』とは一体何でしょう?
グァテマラ出身の批評家兼作家にして、現代スペイン語散文の生みの親の一人と云われるエンリケ・ゴメス・カリージョが日本にやってきたのは日露戦争直後近辺。
このカリージョ、15歳で駐在外交官夫人とスキャンダルを起こしに始まり、絶え間ない女性遍歴、決闘騒ぎ、好奇心の赴くまま外国旅行と、かなり奔放な性格をしており、日本にやってきて当然の如く、吉原を訪れます。
常連となった妓楼で彼は十返舎一九執筆による『吉原暦』と云う名の吉原の解説本の普及版を見つけます。この本はフランスにおけるジャポニズム普及に貢献した作家エドモンド・ルイ・ゴンクールによって翻訳&注釈が付けられ、ヨーロッパでも広く普及していたのですが、これを本場の吉原で読むことで、カリージョは十返舎一九の慧眼に改めて驚きます。
『花魁の間で男を最も喜ばせる官能的な女は、猫のようにしなを作って笑う女ではなく、憂鬱そうに黙りこくって死ぬことを考えていそうな女だ』
要するに、所謂「綾波系」「長門系」と評される無口無表情キャラへの萌えは、既に江戸期には確立していたわけです。
もっともカリージョは一九を「鋭い目を持った心理学者である」と褒めていますが、つまるところ「この系統のキャラへの萌えは日本人に限らない」ということの証明でもありますね(笑)。
更に本筋から逸れますがもう一本。「とある物語」の粗筋をざっと紹介致しましょう。
『主人公は金もなく、力もなく、喧嘩をすれば必ず負ける19歳の少年。とある名店の養子になったのですが従業員に店を乗っ取られて、ボロ長屋に追放。
元従業員だった18歳の女の子はそんな主人公を見かねて、生活費を稼ぐために芸能界に。主人公に対して超ツンデレなこの彼女ですが、芸能界であっという間にのし上がっていきます。一方、主人公が養子に入っていた店の一人娘の15歳の少女は、元々許嫁だった主人公にベタ惚れ。
ここにめでたく(笑)三角関係が成立。この美少女二人は顔を合わすたびに嫉妬と当てこすりと涙の応酬。主人公はこの二人の間に挟まれ、いつもオロオロ。
そのくせこの主人公、顔だけは良いので、常にもてもて。ツンデレな彼女と同じ芸能人の女の子にも惚れられてしまい、それがバレて大騒動に発展したりと、大騒ぎな毎日が繰り広げられるのでした。。。』
さて「……それってどこの一昔前のラブコメ?」という展開のこの物語。
ですが発売当時大流行したこの作品の正体は、現在のラブコメ漫画でもエロゲでもなく……作品名は『春色梅児誉美』。
作者の名前は……『水野忠邦による天保の改革で手鎖の刑に処せられた』として日本史の教科書にも登場する『為永春水』だったりしますw。
なお上に紹介したあらすじは恐るべきことに「意図的な改変は一切ありません」。「芸能人=辰巳芸者」に置き換えたくらいで。
所謂『人情本』というジャンルを確立させたこの物語、恐らく日本の現在の美少女ラブコメの原型と呼ぶべきでしょう。
ちなみにこの物語、最後は悪が滅び、主人公は「とある大名家の重臣の御落胤」と判明してめでたくその家の相続人に。元許嫁は本妻に、ツンデレ芸者の彼女は側室に、という身も蓋もない完全無欠のハッピーエンド(笑)で幕を閉じます。
要するに、萌えの概念は江戸末期には確立し、既に我々の中に遺伝子レベルで刻み込まれていると云っても差し支えはないのでしょう!
なんとなく「……それでいいのか、日本人?」と云う気がしないでもないですが、きっとそれが日本人という人種にしみちレベルで刻まれているサガなのでしょうw。
さて全然話が逸れましたが。
カリージョは明治も終わりに近付いている時代であるにもかかわらず、いまなお吉原においては、男女の営みに至るまでの物凄く緩慢で煩雑な、昔ながらの手順が守られていることに感激します。
また伝説的な遊女について数多くの実例を聞かされた結果『無知な私はほんの数週間前まで、日本では遊女が誠実さの手本となりうるなどとは思いもしなかったのだ』とまで書き記しています。この点についてはまた稿を改めて取り上げることにして、今回はカリージョが書き記した遊郭での慣習からの今回のクエスチョン。
客から遊女にプレゼントを渡す際には部屋の中に必ず備えてある『あるもの』を介して行われ、遊女達はその中に入れられた恋文だの、プレゼントやら、春画などを大切にしていたようですが、この『あるもの』とは一体何でしょう?
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