私は毎週土曜日に援農してます。
その理由は、安心安全な食べ物を確保するための知識を得ること、また安心安全な食べ物をつくる人たちとの人脈をつくることを目的としてます。
私は将来的には、安心・安全な健康住宅、電磁波や化学物質の影響のない家をベースにした、電気・ガス・水道自給自足の家、食糧自給自足の家を広めたいと思っています。
原発や化石燃料を燃やしてつくる電力は使いたくありませんし、未来の子どもたちに負の遺産を残したくないためです。
小さいながらも成功事例をつくり、賛同してくれる方が少しでも増えて行けばよいな、と考えております。
前置きが長くなってしまいました。
有機野菜を長年つくってこられた農家さんのお話しです。
今日はバブル期の話でした。
バブル期に田畑を売って、お家(母屋)を建て替えたり、田畑にマンションを建てたりした農家さんがいらっしゃったそうです。
当時は土地が高騰し、いまでは値のつかないような土地にさえ、坪〇〇万円ほどの値がついたそうです。
言葉巧みに土地の売却を迫られ、売却した方も多いそうです。中には売却した費用で新たに土地の購入を持ち掛け、その土地をまた売却することを持ち掛けられた農家さんもいらっしゃったそうです。
私がお手伝いしている農家さんは、当時、確かにいろいろ悩んだそうです。本当に甘い言葉がたくさんあったようです。
しかし結局、その農家さんは土地はひとつも手放さなかったそうです。
一次産業を守ること、安心な食べ物をつくり、提供することの大切さを一番に考えたそうです。
有機野菜をつくるための土づくりの大変さ(苦労)、せっかく土づくりした土地を売却すること、また新しい土地を購入した場合にまた一から土づくりをしなければならないことなどもあったようです。
土地を売却して豪邸を建てた農家さんは、今では息子さん夫婦が家を出て一家離散してしまっていたり、農業自体も止めてしまった農家さんもいらっしゃるそうです。
また当時マンションを建てたりして資産運用をしている農家さんも、現在、マンションが空き家になってしまっていたり、また将来的なマンションの解体などを考えた際に、子や孫から「お父さんなんでこんなマンション建てたの?」と言われるのではないか?と仰っておりました。
私はよいのかわるいのかわかりませんが、バブルを知りません。同期の仲間は大学卒業時にバブルの絶頂期でしたので、入社時のさまざまなプレゼントの話やボーナス、飲み会の話などはよく聞いておりました。私は大学院に進学したため、院を修了するころにはバブルは崩壊し、就職も氷河期と言われる時期でした。
農家さんのお話は、私の知らないバブル期の話で、とても興味深い話でしたが、中でもやはり、一次産業を守り育てるという言葉と、安心な食べ物をつくりそれらを提供することの使命を強く感じておられる気持ちがとても印象的でした。
中にはお中元にセドリック(高級乗用車ですね)をプレゼントされたというお話もあり、仰天しましたが、バブルを経験した方は、そのような話は枚挙にいとまがないのではないでしょうか(笑)
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