まんまる十五夜お月さん^^by.28deyのこと。
いつものように仕事を終えて家路へと急ぐ。この時間帯になると、キンキンに冷え切った外の空気がすぐさま身にまとわりつくものだから、上着をしっかり抱え込みながら車へと急ぎ駆け込む。
しかし、今宵は久しぶりに煌々とあたり一面を照らし出している月夜のせいか、暫し、身を着く寒さも忘れて夜空の月を望みながら眺め歩いてゆく。足元を照らす明るさもさることながら、見上げる闇には、まるで白夜であるかのように雲が空一面に広がって流れる様があちこちに見えるのである。今宵は、その場にそのまま立ち止まって見入っていたいような神々しい月の光が夜空ながらも満ち満ちていた。
そうかぁ、今日やっと^^満月になったんだなと思うと、この想いもひとしおに嬉しい^^;;;。もったいない程にこんなにも降りそそいでくれる月光を、どうしたらこの身で受け止めることができるのだろう・・・。この冬の寒空では、幾重にも心に重ね合わせた暖を脱ぎ去ることは出来ない。透明なガラス越しに月を愛でる。こちらから手を差し伸べる事はできないけれど、煌々と満ち溢れ続けてくれる愛は、ガラス越しでも構わず照らし差しこんで月色に辺りを染め輝やかせている。
いつまでもそのまま居たかったんですが、眠ってしまったこの身をお許しくださいねぇ~^^:
実に昨夜は、きれいな綺麗な十五夜お月さんが望めた満月の夜でしたが、想いを受けきれなかった私の為にか、本日今宵は、ためらいながらも顔をみせた十六夜(いざよい)月が、昨日の空にぽっかりと浮かんでいます。
なんとなく^^;;; 月を愛でることの楽しさを知ったこの頃です。
◆十六夜の語源・由来◆
いざよいは、「ためらう」「躊躇する」意味 の動詞「いざよう」の連用形が名詞化した語。
陰暦16日の月の出は、15日の満月の月 に比べてやや遅いところから、月がためらっていると見立てたものである。「いさよう」は上代には「いさよう」と清音で、「十六夜」も上代には「いさよい」と清音であった。(語源由来辞典より)
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