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白山ロード^^永平寺町- 5・ 福井市-19

2023年06月29日 | 白山車窓景

令和5年6月18日(日)参拝

・八幡社(福井県吉田郡 永平寺町牧福島20-6-1)
・志比 白山神社(吉田郡 永平寺町志比17-1) 再参拝 / 2013.12.8

・宇坂大谷 白山神社(福井市 宇坂大谷町28-1、2)

 

 

どうも^^; 先月の三国町を巡った折の「太子堂」の存在が気になって仕方なく、10年前に参拝した永平寺町の志比白山神社を再度訪れて今度はちゃんと確かめてみたくなった。

 

福井県神社庁|八幡社 (jinja-fukui.jp)(福井県吉田郡永平寺町牧福島20-6-1)

 境内社 白山宮

 

勝山街道(261号線)沿いに八幡社は鎮座。スッキリと整った明るい境内の片隅に小さな石造りのお社白山神社が待っていた。

 

 

御祭神  譽田別尊

由 緒
創立年代不詳。
旧社殿の建立年代は不詳。昭和23年6月の福井大地震で傾斜がひどくなり昭和30年8月に改築。又、平成2年10月に御大典記念事業として本殿を改築。

 

 

 

 

 

福井県神社庁|白山神社 (jinja-fukui.jp)(福井県吉田郡永平寺町志比17-1) 

   境内社 神明神社、太子堂

 

曹洞宗大本山永平寺の門前町でもある志比。日曜日だということもあってか参道には観光客が多く行きかっていた。この繁華街から白山神社は少し離れてることもあってか訪れる人は誰もおらず、木漏れ日さす静けさの中で十年ぶりの再会に私は浸たっていた。

 

 

 

 

御祭神 
伊邪那岐神、伊邪那美神、天照大神

由緒(福井県神社庁より)
当白山神社は永平寺開祖道元禅師中国の天童山景徳寺(現在の天童寺)での修業を終へ明日、日本へ帰ろうとする夜「碧厳集」を手に入れられこれを書き写し持ち帰ろうとしたが思うように筆はすすまない。そこへ白衣の神人が現われ禅師の書写を手伝い無事に終えることが出来た。白衣の神人とは実は、日本の白山権現であった。

 

 


首座和尚と言われる修行僧が100日間の修業を終えると翌日白山権現にお礼の参拝をし報恩感謝を申し上げている。

圓通閣の別名もある向背正面には永平寺の禅師揮毫の(禅師名不詳)「圓通閣」の額が掲げられている。

 

 

本殿は昭和41年に新築造営(総檜造)それまでは拝殿に祭神をお祀りしていたものであり拝殿には宮大工信仰の神である聖徳太子をお祀りした太子堂がある。堂宇は縮尺されたものであるが精巧な造りで神社建築の見本とされている。製作年月は不詳であるが300年近く経っているものと言われている。

 

 

 

 

 

境内社の神明神社社殿を昭和62年に檜材をもって造営。
昔は大工村の氏神として境内に堂宇があったが町営駐車場建設のためその地領を提供したため現在地へ移転した。

 

 

 

めざす「太子堂」は拝殿内左手に祀られてありました。
県神社庁の説明によれば、聖徳太子様は宮大工の信仰神だったと知ってビックリです^^

拝殿には立入る事叶わなかったものでガラス越しの参拝とさせていただいたのですが、ついフラッシュを焚き撮ってしまった一枚にガラスに跳ね返った光の中に杖をつく人物が浮かび上がってみえたものがあり何方かしらと・・・(まぁ目の錯覚@@?かもしれんけどね~)

 

  

 

 

 

福井県神社庁|白山神社 (jinja-fukui.jp)(福井県福井市宇坂大谷町28-1、2)

永平寺から山越えして364号線を帰宅途中、山沿いに気になる可愛い小さな鳥居を見つけた。以前より何度か通り過ぎるたびに気にはなってはいたのですが、今回よくよく車を近づけ眺めみれば、なんと、白山神社の文字がクッキリあ~るじゃありませんか^^!

本日予定にはありませんでしたが、この際やもん^^;;お参りしていきましょう。

 

 

大きな第一の鳥居の向こうに背が低い第二の鳥居があります。扁額には「地蔵大菩薩・白山大権現」の文字。石段の参道にはところどころ可憐なヒメジョオンの足跡が風に揺れています。そっと踏まないように登って行きます。

 

    

 

 

 

御祭神  伊弉册尊 、菊理姫命、大己貴尊

 

 

鳥居前の広場周辺には、ヒメジョオンの草花が生き生きと群生していた。蝶々も飛び交って、可愛い鳥居との組み合わせはそこだけ夢の世界が広がっているように見えた^^;;;(笑)

 

 

ヒメジョオン『姫女菀(ひめじょおん)』

「姫」は小さいを、「女菀」は中国産の野草を表わしているんだそうですよ。
花言葉「素朴で清楚」まったく見たまんま雰囲気そのまんまですね。

日本に入ってきた当初は「柳葉姫菊(やなぎばひめぎく)」と呼ばれたり、鉄道の線路沿いに広がったことから「鉄道草(てつどうぐさ)」とも呼ばれたりしていた時があったんですって^^。

なんとのう、白山神社の菊理姫さまも^^この姫女菀と似ているような気がしてならないのですが~~♪

 


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