。。ぽぽしゃんの夢見るDonko列車。。

大好きをゆったりまったり楽しんで
のんびりのほほ~んと語っていきたいなぁ~

白山ロード^^越前市-1

2010年06月29日 | 白山車窓景

平成22年6月23日参拝

・西尾 白山神社(福井県越前市 西尾町34-40)
・中居 白山神社(越前市 中居町19-24)

・岩本 神社     (越前市 岩本町18-1) 境内社/白山神社

・朽飯 八幡神社(越前市 朽飯町21-33)境内社/白山神社

・長尾 白山神社(越前市 長尾町96-17 62-29)  
・野岡 白山神社(越前市 野岡町1-1)
・山室 白山神社(越前市 山室町48-14) 
・長谷 白山神社(越前市 長谷町27-33) 
・横住 白山神社(越前市 横住町39-22)

 

 

西尾|白山神社 (jinja-fukui.jp) (福井県越前市 西尾町34-40) 

 

広大な越前市東運動公園に隣接して白山神社がある。
神社の前を流れる文室川に沿って遊歩道が整備。鳥居正面の橋を渡り、向かい側地域の学生達がこの神社境内を通り過ぎながら道のようにして行き交う姿が見られる明るい雰囲気の神社です。

 

神社のすぐ裏が公園敷地のためか、神社を取り囲む石の杭の塀はなく自由に行き交う人々に実にオープンに境内を開放されているため、地震崩壊などによる人身災害を心配されてなのか、鉄の綱で拝殿の両脇四方をしっかりと引っ張るように地面に杭止めてありました。

そして念には念を入れての事?か、大小二対と四体の狛犬が拝殿前に居座って神社をお守りしております。まあ^^こんだけ狛犬が守っているからなのか、本殿は何も対策されていないのね(笑)。

本殿まわりには彫り飾りが施されており、山麓の神社と違って日当たりはいいし風通しもよか塩梅、そして裏は賑やかな歓声が飛び交う公園です、神様にとっては居心地がいいのか悪いのか定かではありませんが、人間的には、実に環境がいい所に鎮座されている神社といえますね^^;

西尾町を後にすると、越前の里味真野苑前を通り過ぎ、池田方面に向かって走ります。




 

中居|白山神社 (jinja-fukui.jp)(福井県越前市中銀杏19-24)


神社は、味真野小中居分校跡を見下ろすようにして、バラ大杉がこんもり茂る森の中に鎮座しています。

その分校跡から眺めみる森は、映画『となりのトトロ』のどんぐりの森のように湧きあがる入道雲のようにもみえて生き物のようです。



そんな森を目印にわくわくしながら神社のふもとに向かいます。あった^^とばかりに、どっしりとした存在感ある白い鳥居が迎えてくれます。今にもヒョコンと茂みの中からトトロが現われそうです。そんな草が生い茂る石段のスロープを登っていくと、今度は年代物の二の鳥居があり、広い広場がその向こうに広がっていました。 

そこから一段高いところに拝殿と本殿が祀ってあるのですが、そこへ登るための階段の石組みがバラバラに組み外れていて損傷がかなりひどい。かろうじて、階段の両脇をガッシリと支えている二本の杉の木のおかげで崩れずにすんでいるような感じでしたが、もしかして、杉が成長し過ぎて崩れにかかっているのかも^^;;;?です。



有形文化財 木造十一面観音立像(像高 157.5cm) 昭和61年8月12日 町文化財指定

『 この像は、の一木から左肩、右手首までを含む頭体幹部を丸彫とするもので、左手の左肩以下(亡失)右手先、両足先(いずれも後補)が取り付けられている。
 頭上の十一面はもともとほぞで取り付けられていたであろうが、現状は全て後補である。左肩を屈して、おそらく蓮華(または蓮華をさした水瓶)を執り、右手は垂下して掌を開き、腰をわずかに左に捻って立つのびのびした姿態やおだやかな表情、体にまつわる衣などが、やや控えめな彫法で堅実に刻まれ、落着いた趣がある。平安中期十一世紀初頭を降らぬころの保守的な作風を示す像である。     今立町教育委員会 』



観音堂の前に、ひときわ目をひく巨木のバラ大杉があります。説明文を読むと・・

バラ大杉 (福井県指定天然記念物  / 昭和59年3月2日指定)

『 白山神社境内には十本の大木がある。これらは、当地方の産業として古くから伝わるスギ苗栽培の母樹となるもので十本のおのおのに形質上に特徴がある。このうち、バラ大杉は最大のものである。拝殿の東方22mにある崖にかかって生えている根まわり8.2m、目とおり7.2m、高さ32mの巨木で樹齢は450年と推定される。針葉が短く開出し、一見して枝先がバラバラに見えるので、このように名付けられた。また、幹は太くなるが枝葉は細く垂れるので、雪害に対して強く、雪国向けのスギ苗の母樹として珍重されている。』




来た道201号をUターンして戻ると、198号線を和紙の里公園方面へ向かう。

手元の資料によると、岩本神社(岩本町)と八幡神社(朽飯町)にも、白山神社が祀ってあるとの事なのでそちらへも足を伸ばして参拝することにした。




福井県神社庁|岩本神社 (jinja-fukui.jp) (福井県越前市 岩本町18-1)


境内社 白山神社、稲荷神社   

 

鳥居前の道路脇に説明板があった^^

『 当社の創立年代は不詳ですが、元々白山宮で岩本村の鎮守でした。 

江戸時代までは、薬師堂を本社として、本尊に薬師如来、脇侍に日光・月光菩薩、十二神将が祀られ、白山宮は稲荷神社とともに薬師堂の末社でした。堂は、南北二座の「堂の講」によって運営され、大正12年までは大瀧ちご権現(現大瀧神社)ゆかりの独特の祭事「花の堂」などが行われいました。

明治維新の神仏分離令によって社号を天満宮と改称しますが、明治41年に栗田部愛宕神社、同川濯神社を合祀し、社号を岩本神社と改めました。 
  
越前市指定文化財 木造 薬師如来坐像     』



福井県神社庁|八幡神社 (jinja-fukui.jp)(福井県越前市朽飯町21-33) 
     
    境内社  神明神社、稲荷神社、白山神社、幡生神社

  

  


八幡神社境内三社の由来

『 当境内三社の創立年代は詳らかではありませんが、文久二年(1862年)の八幡神社由来記によると、本宮に向って右に白山宮、左に稲荷宮があり、拝殿左に神明宮があったと記されています。(文久三年に奉納された祭礼図絵馬参照) 明治13年本殿、拝殿等の大移転事業が行われ、現社殿の配置となりました。 』

 

 

 

長尾|白山神社 (jinja-fukui.jp) (福井県越前市 長尾町96-17 62-29) 

 

出来立てほやほやの真新しい鳥居が、どうだと言わんばかりに大の字に誇らしく立っていた。平成22年6月建立とありました。まるで、私が参拝に来る事を予期してたかのようなそんなお出迎え風が嬉しかったです^^; 

一段高い拝殿下に小さな小池があったのですが、そこにモリアオガエルの卵?らしき白いホワホワのまるい泡の塊りを二つ見つけました^^ 実際にこの目で見るのは初めてだったのでちょっと感動モンです。おたまじゃくしになる日はまだまだ先なのか、今は苔蒸した岩に泡でしがみ付きながら池に飛び込むその瞬間がやってくる日をじっと静かに待っているようすでした~♪。

 



野岡|白山神社 (jinja-fukui.jp)  (福井県越前市野岡町1-1)   
 

 


社殿竣工記念碑

 当白山神社は 古史によれば元禄五年 越後国より地方統治の為 土岐伊予守なる武人が当地へ赴任 その在任中に加賀国河内村三宮鎮座 白山神社の御分霊を奉じ来り 当区山地宮ヶ谷に社殿を創建 祭祀したのが起源とされる 

 後年豪雪に因り社殿を始め多くの民家が崩潰 伊予守は被害後に越後へ帰住したが 地元民相議り天保五年現在地に社殿を再建立し 加而地蔵堂即ち愛宕神社 薬師堂即ち薬師神社を建立 祭神は伊弉諾尊  伊弉冉尊 天照皇大神の他後三社神が三社殿に分祀された

 昭和年代に至り社殿改築の議が起こり 昭和九年区内外の寄進 全氏子による労務奉仕 造営施工と続き  昭和拾弐年 近郷に稀と称えられる現拝殿が竣工した

 本殿再建立の希いは 日支事変 第二次世界大戦と相次いだ為不叶に過ぎたが 氏子の再建への願望昴まりに応え 昭和六拾参年より資金の積立開始 平成弐年奉参会の結成 寄進勧請等の着工態勢が整い平成参年より境内の拡張 防災事業に続き本殿 弊殿 愛宕神社本殿同拝殿 手水舎の造営 参道の整備など 将に創区以来の大事業が 幸い無事故且つ順調に進捗完成し平成五年拾月八日竣工式典を挙げたのである

 慈に神々の更なる御加護を祈願すると共に浄財を寄進をされた多くの人々に感謝し 凡ての氏子達が永久に敬神崇祖の念不忘を希い この碑を建立した      

平成五年拾月佳日  白山神社奉賛会 

 

 


山室|白山神社 (jinja-fukui.jp)  (福井県越前市山室町48-14)  

 

木造十一面観音立像(157.5cm)    昭和61年8月12日  町文化財指定

 


長谷|白山神社 (jinja-fukui.jp)  (福井県越前市長谷町27-33)
  

 

 

 

 


横住|白山神社 (jinja-fukui.jp)  (福井県越前市横住町39-22)
       
 境内社 秋葉神社 


 







 

 

追記^^(2016.1.19 / 福井新聞)



無病息災願い 伝統の餅まき 越前市で「おこない」

越前市横住町の白山神社で17日「おこない」と呼ばれる伝統の餅まきがあった。厄年や当番の男性がまき、一年間の無病息災を願った。

おこないは厄払い行事として毎年一月中旬に行なっている。餅まきは厄年や当番の男性が担い、今年は8人が務めた。

拝殿での神事の後、集まった約150人に向けて、4メートルほどの高さの石垣の上から約300キロをまいた。「かさね餅」と呼ばれる直径約60センチの大餅に続き、小餅もまいた。参加者は「こっちやこっち」と声を上げたり手を高く伸ばしたりして餅を求め、境内は熱気に包まれた。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お帰り!はやぶさ君 | トップ | 縁結び - ノウゼンカズラ »

コメントを投稿