。。ぽぽしゃんの夢見るDonko列車。。

大好きをゆったりまったり楽しんで
のんびりのほほ~んと語っていきたいなぁ~

白山ロード^^永平寺町-7

2024年05月23日 | 白山車窓景

令和6年5月19日(日)参拝

・春日神社 (福井県 吉田郡 永平寺町 谷口1-157)
・栃原神社 (永平寺町 栃原21-24)

 

参拝のつづきより~

 

福井県神社庁|春日神社 (jinja-fukui.jp)(福井県吉田郡永平寺町谷口1-157)

えちぜん鉄道勝山永平寺線「下志比駅」下車、徒歩12分。

永平寺町立志比小学校に隣接して春日神社は鎮座。神社裏には永平寺河川公園が広がり九頭竜川が流れる。毎年夏、この広場にて「永平寺大灯篭ながし」が開催される。

 

 

 

  

【拝殿】

御祭神 
伊弉册尊(いざなみのみこと)、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、大己貴命(おおむなちのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、天兒屋根命(あめのこやねのみこと)、齋主命(ふつぬしのみこと)、姫大神

春日神社には、十一面観音立像、多聞天立像、広目天立像、釈迦如来坐像が安置されている。

 

【境内社 八幡神社】






大正3年4月4日 高橋村、谷口村、飯島村、轟村の15社が春日神社に合祀された。

谷口区は、上谷口と下谷口の二村に分かれている。
上谷口には、金毘羅堂(祭神 大己貴命)、八幡堂(祭神 誉田別尊)、白山宮佐々堂(祭神 伊弉册尊)の3社があった。下谷口には、惣社春日社(祭神 伊弉冉尊)、白山宮椿堂(祭神 伊弉冉尊)、白髭社(祭神 少彦名命)の3社があった。 ~福井県神社庁より~

 


はい、こちらの春日神社へも御縁ありまして以前参拝に来させてもらっていましたが、改めてまた新しくUPさせていただきました。

ちなみに、6年前の参拝時に分かった事ですが、旧春日神社の社殿は高橋区に移築。上谷口区の神社跡には石のお社が祀られています。

白山ロード^^永平寺町-3  。。2018.10.23。。 (goo.ne.jp)

 

 

 

福井県神社庁|栃原神社 (jinja-fukui.jp)(福井県吉田郡永平寺町栃原21-24)


えちぜん鉄道勝山永平寺線「越前野中駅」下車、徒歩25分。

谷口から九頭竜川に沿って東に車を走らせていく。北島集落前にある長い北島橋を渡って17号線を左に曲がった辺りが栃原です。神社は集落の中ほど高台に鎮座する。

 


そして、長い長い階段のてっぺん頂上に^^神様はいらっしゃるのです。。。
なんか^^; マヤ文明の遺跡かピラミットみたいだわと、その独特な雰囲気にちょっと圧倒されてしまいました。

 

御祭神 
天照皇大神、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、松平茂昭公(まつだいらもちあきこう)



松平茂昭は、幕末から明治初期にかけての大名・華族。越後国糸魚川藩7代藩主、越前国福井藩17代(最後の)藩主。維新後は福井藩知事となる。

栃原村は、元文5月(1740)と寛政元年(1789)との二度の大洪水に遭い被害が甚大であった。復興は思うようにいかず年毎に困窮、ついに明治初年(1868)には惨状その極に達した。 明治3年春、藩士三岡八郎(由利公正)を介して藩主松平茂昭公に哀訴した処、特別免租の措置を下されて村は再興することが出来た。その喜びと藩主茂昭公の恩徳を今も永く賛え祀っている。 ~福井県神社庁より~

 

 

 

 

 

この栃原には17号線沿いにお清水があると知って、参拝後に暫し立ち寄ってみることにした。北島橋を少し通り過ぎた辺りに「タンタン清水」と看板があった。




 

栃原の名水  タンタン清水  やさしい響きの水


永平寺町と勝山市にまたがる鷲ヶ岳は南日区長時代の勇将畑時能の最期の戦いの地として知られる。
七合目から湧き出る水は時能川の水源となり 伏流水は栃原椿谷の巖の裂け目から清水となりタンタンとやさしく響き流れたる。古来よりタンタン清水と親しまれてきた。別名 栃原の瓜割清水とも呼ばれる。(石碑より)

 

 

お清水が湧き出る山辺谷には、アザミやウツギが新緑を彩るようにしてきれいな花を咲かせていました。花を愛でながら、美味しい水でいっぷくするのもオツですね^^;

  

 

さあ^^後もうちょっとやで、ガンバやぁ~~♪


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