いつも読んでいるブログで「古家」の事が出ていました。
たぶん築100年位の(いやもっと)立派な家。
まだわかりませんが、ひょっとすると解体されてしまうかもしれません。
写真をみると、軒の線がまっすぐ通っていて、まだまだ大丈夫そうです。
内部は、、、わかりません。ただ、外観でゆがんでいるところがないのをみると、いい状態なんだと思います。デザイン的にも、優れています。
私は、残せるものは、できるだけ残そうよ!と、言ってます。無くしたら、そこに残る記憶や思い出もなくなってしまうんですよ、って言ってます。
でも、ある人に言われたことがあります。
自分の育った家に「いい思い出も、愛着もない!」って。。。。
一瞬、言葉を失いました。
自分の言っていることは、あまりに理想すぎる・・・・
ガツン、とやられた感じがしました。
確かに、、そうゆうこと、あるんでしょうね。
しょうがない、か、、、そうですね、、しょうがない、、、
そこに住む限りいやな思い出を消したい、とういう場合はしょうがないです。
でも、それは、そんなに多いケースではないと思います。
それに、ちゃんとしたリノベーションをすれば、また、新しい命が宿るのです。
住む人の気持も変わると思うんです。(やっぱり理想的発想ですかね?)
そして、忘れて欲しくないのは、家というものは、街の記憶であり、彩るものなのです。
個人のものだけれど、もう、街の一部なのです。
古い、新しいに関わらず、いい家が壊され、へんちくな今どきの家にかわって、そこの雰囲気ががらっと、
しかも、しらじらしくなったことを感じられたことがあると思います。
はたしてそれが、何十年後にいい街の雰囲気を作っているかというと、、、どうなんでしょう?
「古家」の記事の話に戻ります。その写真の家は、それこそ失ったら、決して取り戻すことのできない、時間、味わい、材料、そして、職人の手の技があります。これは、なくしたら、大きい!
決して、これから作るものでは代役にもなりません。
家は、何も語りません。なすがままに受け入れるしかありません。
でも、写真から、聞こえるような気がします。
「まだまだ大丈夫だよ」って。。。。。
100年もたてば、もうそこには、もののけ がいると思います。(こわい意味ではなく)
つまり、家にも魂があるということです。
その魂の、無言の叫びに耳を傾けて欲しい。。。
これに手を入れることは大変なことです。でも同じ金かけるなら、手を入れる方にかけて欲しい!
100歩ゆずって窓をアルミサッシにしてもいい(今は、木製のいいサッシもあるし)!
だから、、なんとか残って欲しい!!なんとか・・・・