Home Room ・シンプルな暮らしと家

形 - 1

D51_2101208

ル・コルビジェ は

   住宅は住むための機械である

と言った。
その意味は、今思う事とは関係ない。
けれど、機械の美しさには、とても惹かれる。

機械は、最大限の効果を発揮するために、究極に洗練された部品が効率よく配置される。
無機質であるそれらは、むしろ有機的とすら思えてしまう。

住宅は、機械ではないけれど、そこに住む人の無数の暮らしのパターンが効率よく行われなければいけない。

「効率」という言葉を使った時点で、違和感を感じられてしまうかもしれないけれど、予測不可能である人間の行動を、可能な限りイメージし、可能な限りそれを処理できるものを作る事が 設計 だと思っている。

機械は、基本的には、一つの目的のために作られる物であり、そのための機能を追求していくと、基本的にひとつの形になっていく。ある意味、結果としての 形 でもある。(あくまで一般的な機械に対して。。)

建築は、そうではない作業も可能。 つまり 形をつくり、その中に機能を納めていく という事。

自分で事務所を始めてから、ある時から、「まず形ありき」の作り方は、意識的にしてこなかった。
内部の必要な要素を組みたてていく事で、それが、・・・発酵するように・・・もこもこと膨らんでくるものを形にしようとしてきた。

それはそれで 悪くはないのだけど、違った方法で考えたい という気持ちが膨らんでいる。

もともと、均等の構造体の中に、内部の要素を自由に散らしても 住宅は成立すると考えていたのだけど、限られた大きさの中では、その方法は、なかなかうまくいかない。むしろ、それぞれの機能を固定しないとうまくいかない事が多い。

固定するという事は、そこに 目的を持った「場」を作らなければいけなくなり、そのために、素材や機能をうまく配置し、プラス何かを加える・・・ つまり 設える(しつらえる) という作業が必要になる。

(つづく)

**

写真は 蒸気機関車 D51 の車輪 (飛鳥山公園)

蒸気機関車というものも、究極の機械美 のひとつ。
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