てスクリーン数も増え、地味な映画でも単館上映されるようになったが、当時の映画館は大手の配給会社の系列下にあり、独立系の映画は旧日劇にあった日劇文化や新宿文化を除けば、よみうりホールのような多目的ホール以外に上映する場所がなかった。
ATGと略称された日本ア濾水器價格ートシアターギルド配給の作品を上映したのは、上記2館、日劇文化と新宿文化で、大手映画会社から独立した篠田正浩、吉田喜重、大島渚や新藤兼人といった監督の実験作・意欲作を生み出した。
これは想像なのだが、山本薩夫のように大作を手掛けていた監督であっても、「ベトナム」のような独自配給の商業ベースに乗らない作品は、一般の映画館では上映できなかったということなのだと思う。
現在なら単館であっても、どこかのシネコンで上映できただろうにと思う。
それにしても、よみうりホールのある読売会館はオープン以来、55年が経過している。耐震や補強工事は行われてきたのだろうが、地震の多い昨今を思うと、天井を見上げながらちょっと心配になる。
さて、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」だった。
サッチャーについては改めて書くまでもない。ただ私自身、サッチャーについて詳しく知っているわけでもないし、鉄の女と異名を取ったイギリス初の女性首相といった程度のことしか知らない。英国病といわれたイギリス経済を立て直した功労者とも評価されているが、一方では新保守主義を推し進めた強硬なタカ派としての印象も強い。
映画にも出てくるが、サッチャー前後はヒース、ウィルソンとメージャー以降の首相しか憶えていない。ウィルソンとサッチャーの間にキャラハンがいたことを知って、そういえばそんな人もいたか程度の居屋貸款。
サッチャーの首相任期中に、IRAの爆弾テロやフォークランド紛争があったことが描かれるのを見ながら、ちょっと意外な気がする。サッチャー以前のような気がしていたからだ。
映画のチラシを見ると、サッチャーの首相在職は1979~1990年だと書かれている。そう言われると、確かにIRAもフォークランド紛争もその頃だったと思う。
もっともIRAについていえば、それ以前から民族紛争はあって、北アイルランド紛争が激化するのは1970年頃からである。IRAとの和平合意は1998年。フォークランド紛争は、1982年。
改めて思うのだが、人間歳をとってくると、十年、二十年前のことがつい最近の出来事のように思えてくる。とりわけ、学生時代のことは憶えていても、社会人になってからのことは、ほとんど時間的な経過がわからなくなっている。
サッチャーの頃は、アメリカの大統領はレーガンで、日本の首相は中曾根康弘だったと思い出すと、ずいぶん前のことだと気がつく。ベルリンの壁の崩壊は1989年だった。
サッチャーとレーガンは、ともに晩年認知症となる。中曾根さんは今も頭脳明晰である。
映画は食料品店の娘だったサッチャーが政治家を志し、33歳で下院議員に当選し、44歳でヒース内閣の教育相、49歳で保守党党首、53歳で首相となっていく生涯を、現在の認知症の彼女を通して描いていく。
彼女の経歴も公知のことだし、これ以上ストーリーに触れるのはよそう。
この映画はサッチャーというひとりの女の物語であり、政治映画でもなければ、政治家サッチャーの評伝でも伝記でもない。その点では、サッチャーに対する見方は非常に冷静で中立的に描かれている。
ただ率直な感想を言えば、認知症となった彼女の描き方がいささか感傷的であることが気になる。それは、邦題が「鉄の女」ではなく「鉄の女の涙」としたことからもうかがえる。
まあ、この映画はサッチャーの評伝でも伝記でもなく、サッチャーというひとりの女のドラマなのだから仕方がないのかもしれない。感情移入させなければドラマとして成立しないし、観客の共感を呼ぶこと韓式紋眉
。
だから、この映画に「鉄の女」を期待する向きは、肩すかしを喰らうかもしれない。「鉄の女」もやはり女であるという映画であり、女性映画なのである。
サッチャー役のメリル・ストリープの縁起には舌を巻く。なるほど、主演女優賞という演技だ。
私が初めて彼女を観たのは「フランス軍中尉の女」(1981)だったが、書き始めると長くなるので止める。
この映画の最大の見どころは、3人のサッチャーを演じるメリル・ストリープにある。
1人目は教育相となってから首相になるまでのサッチャー。それは私たちが知っているサッチャーではなく、どこか頼りなげでもある。
2人目は首相となったサッチャー。私たちがよく知っている鉄の女サッチャーだ。
3人目は認知症のサッチャー。私は違和感を感じたが、メリル・ストリープの演技は素晴らしい。
それぞれのサッチャーがどのように演じられるかは、見て確かめるしかない。
ATGと略称された日本ア濾水器價格ートシアターギルド配給の作品を上映したのは、上記2館、日劇文化と新宿文化で、大手映画会社から独立した篠田正浩、吉田喜重、大島渚や新藤兼人といった監督の実験作・意欲作を生み出した。
これは想像なのだが、山本薩夫のように大作を手掛けていた監督であっても、「ベトナム」のような独自配給の商業ベースに乗らない作品は、一般の映画館では上映できなかったということなのだと思う。
現在なら単館であっても、どこかのシネコンで上映できただろうにと思う。
それにしても、よみうりホールのある読売会館はオープン以来、55年が経過している。耐震や補強工事は行われてきたのだろうが、地震の多い昨今を思うと、天井を見上げながらちょっと心配になる。
さて、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」だった。
サッチャーについては改めて書くまでもない。ただ私自身、サッチャーについて詳しく知っているわけでもないし、鉄の女と異名を取ったイギリス初の女性首相といった程度のことしか知らない。英国病といわれたイギリス経済を立て直した功労者とも評価されているが、一方では新保守主義を推し進めた強硬なタカ派としての印象も強い。
映画にも出てくるが、サッチャー前後はヒース、ウィルソンとメージャー以降の首相しか憶えていない。ウィルソンとサッチャーの間にキャラハンがいたことを知って、そういえばそんな人もいたか程度の居屋貸款。
サッチャーの首相任期中に、IRAの爆弾テロやフォークランド紛争があったことが描かれるのを見ながら、ちょっと意外な気がする。サッチャー以前のような気がしていたからだ。
映画のチラシを見ると、サッチャーの首相在職は1979~1990年だと書かれている。そう言われると、確かにIRAもフォークランド紛争もその頃だったと思う。
もっともIRAについていえば、それ以前から民族紛争はあって、北アイルランド紛争が激化するのは1970年頃からである。IRAとの和平合意は1998年。フォークランド紛争は、1982年。
改めて思うのだが、人間歳をとってくると、十年、二十年前のことがつい最近の出来事のように思えてくる。とりわけ、学生時代のことは憶えていても、社会人になってからのことは、ほとんど時間的な経過がわからなくなっている。
サッチャーの頃は、アメリカの大統領はレーガンで、日本の首相は中曾根康弘だったと思い出すと、ずいぶん前のことだと気がつく。ベルリンの壁の崩壊は1989年だった。
サッチャーとレーガンは、ともに晩年認知症となる。中曾根さんは今も頭脳明晰である。
映画は食料品店の娘だったサッチャーが政治家を志し、33歳で下院議員に当選し、44歳でヒース内閣の教育相、49歳で保守党党首、53歳で首相となっていく生涯を、現在の認知症の彼女を通して描いていく。
彼女の経歴も公知のことだし、これ以上ストーリーに触れるのはよそう。
この映画はサッチャーというひとりの女の物語であり、政治映画でもなければ、政治家サッチャーの評伝でも伝記でもない。その点では、サッチャーに対する見方は非常に冷静で中立的に描かれている。
ただ率直な感想を言えば、認知症となった彼女の描き方がいささか感傷的であることが気になる。それは、邦題が「鉄の女」ではなく「鉄の女の涙」としたことからもうかがえる。
まあ、この映画はサッチャーの評伝でも伝記でもなく、サッチャーというひとりの女のドラマなのだから仕方がないのかもしれない。感情移入させなければドラマとして成立しないし、観客の共感を呼ぶこと韓式紋眉
。
だから、この映画に「鉄の女」を期待する向きは、肩すかしを喰らうかもしれない。「鉄の女」もやはり女であるという映画であり、女性映画なのである。
サッチャー役のメリル・ストリープの縁起には舌を巻く。なるほど、主演女優賞という演技だ。
私が初めて彼女を観たのは「フランス軍中尉の女」(1981)だったが、書き始めると長くなるので止める。
この映画の最大の見どころは、3人のサッチャーを演じるメリル・ストリープにある。
1人目は教育相となってから首相になるまでのサッチャー。それは私たちが知っているサッチャーではなく、どこか頼りなげでもある。
2人目は首相となったサッチャー。私たちがよく知っている鉄の女サッチャーだ。
3人目は認知症のサッチャー。私は違和感を感じたが、メリル・ストリープの演技は素晴らしい。
それぞれのサッチャーがどのように演じられるかは、見て確かめるしかない。