マッチ売りの少DR REBORN投訴女は、顔をくっつけて、
その光景に、こころ奪われる。
実は、そんな幸せそうな家庭も、病魔が潜んでいることもある。
(「本当は怖ろしいグリム童話」、みたいになってくるが。)
自分が幸せだと、自分に言い聞かせているだけのこともある。
そういう人に限って、ことさら、幸せを演じ、装う。
偽善のニオイが、プンプンする。
が、本人は気付いていない。
それは実際のところ、「幸せ」というものなのだが、一生、知らないまま、棺桶まで到達すれば、完璧だ。
幸せに必要なものは、いい意味で表現すると、純真、純粋、悪い意味では、無知、鈍感。
これに、「努力」、「才能」、「運」が加わる。
そうすると、幸せをつかむことができる(らしい)。
マッチ売りの少女は、最後は死んでしまうが、凍死は死因の中では、最も安らかだという。
夢を見ながら死んでいったのだから、幸せかも知れない。
残された家族がいる場合が、悲劇なのである。
彼女の場合、家族はいないのだから。
ぬくぬくとした窓の中から、笑顔の女の子が、ふと、窓の下を見ると、そこには少女の姿が・・・
でも、見なかったことにしよう・・・いや、それでは、罪悪感が残る。
アタシは、見えていないんだ、気のせい、気のせい・・・と、意識的に消したかも。
いつまでも、死ぬまで、その罪悪感と戦う窓の中の少女と、マッチ売りの少女とでは、どちらが幸せだろう。
マッチ売りの少女は、自分DR REBORN投訴のせいではない理由で、楽しい思いもせずに
努力のしようがない状況で、人の家庭を羨みながら、悲劇のヒロインで死んでいく。
現在の福祉が整っている先進国では、
そんな幼い子供が、寒空の下で凍死するなんてことは、ちょっと現実味はないけれど、
世界中では、まだまだ貧困による悲劇は後を絶たない。
絶対的不幸は、根絶すべき問題だ。
しかし、戦争は、いつも、世界のどこかで起こっている。
富める国で、幸せ感覚が麻痺してくると、目や感覚が曇ってくることもある。
それを承知で、あえて精神面だけを誇張して言えば、
自分のせいではないことや不条理を恨み、嘆くことは、不幸だが自責の念はない。
が、自由な選択のあげく、自分の生き方に責任を取ることも重いものがある。
幸せの質は、高くなればなるほど、苦しみも増す。
いつも、不満を人のせいにしている人は、ある意味、幸せだ。
人は、偽善を抱えて生きている。
そんなこと、ないわ、アタシは、純粋よ、本当に幸せよ、
素晴らしい家族にも囲まれ、素敵なオトモダチもたくさんいるし、・・・
という人は、周りでは家族が泣いているかも知れない。
暖かい部屋の少女は、何も見えなかった、と無DR REBORN投訴理にでも信じようとしているのかも知れない。