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世界遺産(世界文化遺産) 平等院鳳凰堂
現在の平等院は、9世紀末頃、『源氏物語』の
光源氏のモデルともいわれる左大臣で嵯峨源氏の源融が
営んだ別荘だったそうで、それから天皇へ渡り、
永承7年(1052年)、宇治殿を寺院に改めました。
天喜元年(1053年)に、
西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(鳳凰堂)が建立されました。
西の方角には、極楽浄土があり阿弥陀様が棲んでおられると言われ
それを、具現化するため向かって真西に建てられました。
仏教では、お彼岸をとても大事にしますが、
お彼岸とは、日本仏教独自の考え方で太陽が真東から昇り真西に沈む為、
あの世とこの世を結ぶ大切な日とされ墓参りなどがされてきました。
鳳凰堂はこの仏教の教えを大切にし
彼岸の時期は太陽が真上を通過するよう緻密に計算されて造られています。
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2012年9月に鳳凰堂の修理を開始。
建立当初の姿に近づけるよう、前回の修理(1950年代)から年月を経て傷んだ屋根瓦を、
光沢のない「古色仕上げ」に替え、
鳳凰像には金箔(きんぱく)を施し、
扉や柱を赤茶色の顔料「丹土(につち)」で塗り直しました。(堂内は改修してません)
2014年3月に、鮮やかに修復され拝観が再開されました。
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平等院鳳凰堂【国宝】
平安時代後期、天喜元年(1053年)に、
時の関白藤原頼通(よりみち)によって建立された阿弥陀堂は、
華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできるほとんど唯一の遺構として、
貴重な建築です。
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鳳凰堂とその周囲の浄土式庭園は、
『観無量寿経』の所説に基づき、西方極楽浄土と
その教主である阿弥陀如来を観想(特定の対象に心を集中させること)するために
造られたとするのが定説のようです
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最も大きな特徴は池の中島に建てられていることで、
あたかも極楽の宝池に浮かぶ宮殿のように、その美しい姿を水面に映しています。
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鳳凰堂内部は、こちらの橋を渡り拝観、内部は土足厳禁です。
受付 午前9:10~午後4:10
午前9:30より拝観開始、以後20分毎に1回50名様 300円
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南翼廊側から見た鳳凰堂です。
北翼廊、中堂、南翼廊、尾廊、皆個別の建物で、
繋がってはいませんが、全部合わせた形が鳳凰に似ている事と、
屋根の鳳凰像から鳳凰堂と呼ばれる様になったそうです。
瓦の一部(白く見える部分)は平安時代当時の瓦です。
修復の際見つかった瓦を一ケ所に集めたものです。
(建設当時の貴重なものです)
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堂内の中央には金色の丈六阿弥陀如来坐像が端坐し、
周囲の壁および扉には九品来迎図(くほんらいこうず)、
阿弥陀仏の背後の壁には極楽浄土図が描かれています。
そして長押上の小壁には52躯の雲中供養菩薩像が懸けられています。
現在では色あせてしまっていますが、堂内の天井や梁には、
宝相華を主とする文様で埋めつくされていました。
柱にも、天衣を翻して舞う天人や楽を奏する童子、
飛び立つ鳳凰、宝相華、唐草文様などが描かれ、
これらは鮮やかに彩色されていました。
そして天蓋中央部の大型の八花鏡のほかに、天井には計66個もの銅製鏡が吊られています。
鏡は夜間にゆらゆら揺れる灯明の明かりを反射して、
幻想的な世界を創り出していたはずです。
『続本朝往生伝』という平安時代の本に
「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまえ」という記述があります。
当時の人々は鳳凰堂を地上に出現した極楽浄土ととらえていたのです。
九品来迎図(くほんらいこうず)とは、
死の間際に阿弥陀様が迎えに来る様子を初めて日本風に描いたもので、
生前の行いによって9つのお迎え方があるという考えからです、
9段階の一番上を上品上生(じょうぼんじょうしょう)
一番下を下品下生(げぼんげしょう)と言い
上品・下品の語源になっています。
鳳凰堂内を創建当初の色彩で一部を再現した部屋が、
平等院ミュージアム鳳翔館(ほうしょうかん)にあります。
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鳳凰像は一万円札の裏面にデザインされています。
鳳凰は幸せの前兆として現れる伝説の鳥であり、
世界中に幸せと共に流通うしてほしいという願いを込めて選ばれたようです。
北方像 像高98.8cm 総幅34.5cm
屋根の上の鳳凰形棟飾りによって、阿弥陀堂を鳳凰堂と呼ばれるようになりました。
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銅製鋳造鍍金(平安時代・11世紀)
南方像 像高95.0cm 総幅44.5cm
金箔(きんぱく)を施され修復された二代目の鳳凰像。
初代鳳凰像【国宝】は、
平等院ミュージアム鳳翔館(ほうしょうかん)に展示されています。
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龍頭瓦
平等院鳳凰堂の大屋根には、降棟(くだりむね)の役物瓦として
現存する最古のもので、かつ最大級の龍頭瓦が飾られています。
鳳凰堂中堂の降棟には前後一対ずつ合計4つの龍頭瓦があります、
降棟の先にある瓦は鬼面が一般的ですが、鳳凰堂の場合は龍頭となっています。
降棟が体、その先に頭がついていて、全体として巨大な龍となる珍しい形です。
鬼瓦も沢山ありましたが、鬼とは隠仁(おに)で人の目には見えないけれど
いつも側にいる精霊の様な物のようです。
鎌倉時代末頃に成立した『渓嵐拾葉集(けいらんしゅうようしゅう)』には、
宇治を龍宮にたとえて
その中心を流れる宇治川には
平等院を創建した関白・藤原頼通が龍神となって棲み
平等院を守護しているという伝説が記されています。
豊穣のシンボルとしてすでに信仰されていた蛇と混じり合いながら
伝説や民話の中に現れるようになり
そのため様々な経典や仏具、お堂などに龍がデザインされてきました。
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堂内には、平安時代の最高の仏師 定朝(じょうちょう)によって制作された
丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされています。
あの運慶・快慶にも影響を与えた仏師定朝の作は、
この阿弥陀如来坐像が現存する唯一のものの様です。
約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、
世界遺産にも登録されております。
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平等院旧南門
伏見桃山城から移築されたもの、希少な赤樫(あかがし)の巨木で、
固く火に強い事から、戦国期の城門などに使用されたと記録にあります。
ねじれが起きやすい樫材による建造物は日本では確認された事がないようです。
城造りの天才として知られる秀吉のよる
城門「薬医門」の現存する最古の建築として注目されています。
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救世船乗観音(ぐせふなのりかんのん)
船に乗る姿は実際の旅の安全を祈るのと、人生という旅路の無障を願う観音様とされます。
阿含経には、「人間遊行」とあり、人生は長い旅路と示されています。
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浄土院は平等院の塔頭で、浄土宗の栄久(えいく)上人が、
明応年間(15世紀後半)に平等院修復のために開創した寺と伝えられています。
文化財である阿弥陀如来立像、帝釈天立像、養林庵書院障壁画などを管理しています。
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不動堂
不動明王を本尊とする最勝院の本堂。
本尊と並び、役小角(えんのおづぬ)(役行者)の像が祀られています。
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池殿地蔵尊
不動堂に隣接する地蔵堂は地蔵菩薩坐像をお祀りしている小堂です。
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最勝院
平等院塔頭2ヶ寺の1つで天台宗系の単立寺院です。
承応3年(1654)京都東洞院六角勝仙院(住心院)の僧が平等院に移り、
その住庵を最勝院と呼んだことに始まります。
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夢浮橋ひろば の紫式部
「源氏物語」は実話ではありませんが、いつの頃からか、
物語の舞台はここであってほしいという人々の思いによって、
宇治川周辺に宇治十帖の古跡が作られました。
現在の平等院は、9世紀末頃、『源氏物語』の
光源氏のモデルともいわれる左大臣で嵯峨源氏の源融が
営んだ別荘だったそうで、それから天皇へ渡り、
永承7年(1052年)、宇治殿を寺院に改めました。
天喜元年(1053年)に、
西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(鳳凰堂)が建立されました。
西の方角には、極楽浄土があり阿弥陀様が棲んでおられると言われ
それを、具現化するため向かって真西に建てられました。
仏教では、お彼岸をとても大事にしますが、
お彼岸とは、日本仏教独自の考え方で太陽が真東から昇り真西に沈む為、
あの世とこの世を結ぶ大切な日とされ墓参りなどがされてきました。
鳳凰堂はこの仏教の教えを大切にし
彼岸の時期は太陽が真上を通過するよう緻密に計算されて造られています。
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2012年9月に鳳凰堂の修理を開始。
建立当初の姿に近づけるよう、前回の修理(1950年代)から年月を経て傷んだ屋根瓦を、
光沢のない「古色仕上げ」に替え、
鳳凰像には金箔(きんぱく)を施し、
扉や柱を赤茶色の顔料「丹土(につち)」で塗り直しました。(堂内は改修してません)
2014年3月に、鮮やかに修復され拝観が再開されました。
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平等院鳳凰堂【国宝】
平安時代後期、天喜元年(1053年)に、
時の関白藤原頼通(よりみち)によって建立された阿弥陀堂は、
華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできるほとんど唯一の遺構として、
貴重な建築です。
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鳳凰堂とその周囲の浄土式庭園は、
『観無量寿経』の所説に基づき、西方極楽浄土と
その教主である阿弥陀如来を観想(特定の対象に心を集中させること)するために
造られたとするのが定説のようです
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最も大きな特徴は池の中島に建てられていることで、
あたかも極楽の宝池に浮かぶ宮殿のように、その美しい姿を水面に映しています。
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鳳凰堂内部は、こちらの橋を渡り拝観、内部は土足厳禁です。
受付 午前9:10~午後4:10
午前9:30より拝観開始、以後20分毎に1回50名様 300円
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南翼廊側から見た鳳凰堂です。
北翼廊、中堂、南翼廊、尾廊、皆個別の建物で、
繋がってはいませんが、全部合わせた形が鳳凰に似ている事と、
屋根の鳳凰像から鳳凰堂と呼ばれる様になったそうです。
瓦の一部(白く見える部分)は平安時代当時の瓦です。
修復の際見つかった瓦を一ケ所に集めたものです。
(建設当時の貴重なものです)
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堂内の中央には金色の丈六阿弥陀如来坐像が端坐し、
周囲の壁および扉には九品来迎図(くほんらいこうず)、
阿弥陀仏の背後の壁には極楽浄土図が描かれています。
そして長押上の小壁には52躯の雲中供養菩薩像が懸けられています。
現在では色あせてしまっていますが、堂内の天井や梁には、
宝相華を主とする文様で埋めつくされていました。
柱にも、天衣を翻して舞う天人や楽を奏する童子、
飛び立つ鳳凰、宝相華、唐草文様などが描かれ、
これらは鮮やかに彩色されていました。
そして天蓋中央部の大型の八花鏡のほかに、天井には計66個もの銅製鏡が吊られています。
鏡は夜間にゆらゆら揺れる灯明の明かりを反射して、
幻想的な世界を創り出していたはずです。
『続本朝往生伝』という平安時代の本に
「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまえ」という記述があります。
当時の人々は鳳凰堂を地上に出現した極楽浄土ととらえていたのです。
九品来迎図(くほんらいこうず)とは、
死の間際に阿弥陀様が迎えに来る様子を初めて日本風に描いたもので、
生前の行いによって9つのお迎え方があるという考えからです、
9段階の一番上を上品上生(じょうぼんじょうしょう)
一番下を下品下生(げぼんげしょう)と言い
上品・下品の語源になっています。
鳳凰堂内を創建当初の色彩で一部を再現した部屋が、
平等院ミュージアム鳳翔館(ほうしょうかん)にあります。
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鳳凰像は一万円札の裏面にデザインされています。
鳳凰は幸せの前兆として現れる伝説の鳥であり、
世界中に幸せと共に流通うしてほしいという願いを込めて選ばれたようです。
北方像 像高98.8cm 総幅34.5cm
屋根の上の鳳凰形棟飾りによって、阿弥陀堂を鳳凰堂と呼ばれるようになりました。
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銅製鋳造鍍金(平安時代・11世紀)
南方像 像高95.0cm 総幅44.5cm
金箔(きんぱく)を施され修復された二代目の鳳凰像。
初代鳳凰像【国宝】は、
平等院ミュージアム鳳翔館(ほうしょうかん)に展示されています。
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龍頭瓦
平等院鳳凰堂の大屋根には、降棟(くだりむね)の役物瓦として
現存する最古のもので、かつ最大級の龍頭瓦が飾られています。
鳳凰堂中堂の降棟には前後一対ずつ合計4つの龍頭瓦があります、
降棟の先にある瓦は鬼面が一般的ですが、鳳凰堂の場合は龍頭となっています。
降棟が体、その先に頭がついていて、全体として巨大な龍となる珍しい形です。
鬼瓦も沢山ありましたが、鬼とは隠仁(おに)で人の目には見えないけれど
いつも側にいる精霊の様な物のようです。
鎌倉時代末頃に成立した『渓嵐拾葉集(けいらんしゅうようしゅう)』には、
宇治を龍宮にたとえて
その中心を流れる宇治川には
平等院を創建した関白・藤原頼通が龍神となって棲み
平等院を守護しているという伝説が記されています。
豊穣のシンボルとしてすでに信仰されていた蛇と混じり合いながら
伝説や民話の中に現れるようになり
そのため様々な経典や仏具、お堂などに龍がデザインされてきました。
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堂内には、平安時代の最高の仏師 定朝(じょうちょう)によって制作された
丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされています。
あの運慶・快慶にも影響を与えた仏師定朝の作は、
この阿弥陀如来坐像が現存する唯一のものの様です。
約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、
世界遺産にも登録されております。
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平等院旧南門
伏見桃山城から移築されたもの、希少な赤樫(あかがし)の巨木で、
固く火に強い事から、戦国期の城門などに使用されたと記録にあります。
ねじれが起きやすい樫材による建造物は日本では確認された事がないようです。
城造りの天才として知られる秀吉のよる
城門「薬医門」の現存する最古の建築として注目されています。
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救世船乗観音(ぐせふなのりかんのん)
船に乗る姿は実際の旅の安全を祈るのと、人生という旅路の無障を願う観音様とされます。
阿含経には、「人間遊行」とあり、人生は長い旅路と示されています。
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浄土院は平等院の塔頭で、浄土宗の栄久(えいく)上人が、
明応年間(15世紀後半)に平等院修復のために開創した寺と伝えられています。
文化財である阿弥陀如来立像、帝釈天立像、養林庵書院障壁画などを管理しています。
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不動堂
不動明王を本尊とする最勝院の本堂。
本尊と並び、役小角(えんのおづぬ)(役行者)の像が祀られています。
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池殿地蔵尊
不動堂に隣接する地蔵堂は地蔵菩薩坐像をお祀りしている小堂です。
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最勝院
平等院塔頭2ヶ寺の1つで天台宗系の単立寺院です。
承応3年(1654)京都東洞院六角勝仙院(住心院)の僧が平等院に移り、
その住庵を最勝院と呼んだことに始まります。
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夢浮橋ひろば の紫式部
「源氏物語」は実話ではありませんが、いつの頃からか、
物語の舞台はここであってほしいという人々の思いによって、
宇治川周辺に宇治十帖の古跡が作られました。