自然の中を散策!な日々

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高尾山 「明治の森・高尾国定公園」 1号路より登山

2015年05月16日 | 日記
仏舎利塔(お釈迦さまの真身骨が奉安)

仏舎利塔のある有喜苑では、
高尾山の山伏により柴燈護摩供(さいとう ごまく)が行はれました。



永和年間に俊源大徳(しゅんげんたいとく)が京都醍醐山より高尾山へ入山、
高尾山興隆を祈念し飯縄権現(いづなごんげん)を感得され
高尾山を中興された縁起にならうものであります。


1号路
「高尾山」は、平成19年にミシュランの三ツ星に指定されました。

都心からの交通の便にも恵まれ、
日帰りでもゆっくりと山歩きが楽しめる国定公園で
平成19年に富士山と並んでミシュランの三ツ星に指定された素晴らしい山です。


シャガ

高尾山と周辺に生息する高等植物は 153科1,300種類に及んでいます。
その中で高尾山特有の植物として原記載され、学会に発表された野草の数は、
65種類に達しています。


暖帯林と温帯林とが織りなす広葉樹林に、樹齢数百年もの大杉が林立する高尾山。
昭和42年には明治百年を記念して「明治の森・高尾国定公園」となりました。

高尾山は戦国時代、北条氏の治める領土であり、
北条氏の定めた竹林伐採禁止の法によりまもられてきました。

その後、
高尾山地域は徳川家康が治めることになりますが高尾山の保護は踏襲され
高尾山の自然は保管されています。
江戸時代には幕府により高尾山の森林の保護や植林も積極的に行われるようになります。

しかし、
第二次世界大戦に入ると造船のために高尾山の木々が使われることになります。
終戦後も壊れた家屋の再建のために高尾山から大量の木々が切り出され、
長い間まもられてきた高尾山の自然を傷つけることになりました。

昭和25年に東京都立高尾陣馬自然公園の指定をうけ、
昭和42年には国定指定公園になり、
再び高尾山の自然が保護されることになりました。


エコーリフト山上駅
一般料金 1名(山麓駅 ⇔ 山上駅)
片道:480円
往復:930円

ケーブルカー高尾山駅
一般料金 1名 (清滝駅⇔高尾山駅間)
片道:480円
往復:930円


大人気の天狗焼
いつも行列が絶えません。


修験道の行者を山伏といい、彼らは大自然の中に仏を見出し、
自然との対話の中で、声なき声に法身説法の音声を聞き、
上求菩薩、下化衆生の精神をもって、山林とそう修行を行じているのであります。

この山伏が山に入り修行する際、身につける衣帯、装具を見ますと、
身にまとう装束は勿論、上は頭襟から下は八目の(草鞋ソウカイ)[わらじ]に至るまで、
山伏独特の修験十六道具は、それぞれ不二の世界・十界・不動明王・母胎などを象徴し、
ことごとく意義付けがなされ、あたかも教法を身にまとい、
これを以って仏の教えを示しているのであります。


高尾山有喜苑仏舎利宝塔には
真身骨が奉安されています。
昭和 6年に少年団日本連盟(現在のボーイスカウト日本連盟)を通じて、
タイ国王より分贈されたもので、
日本の青少年が、お釈迦さまの教えにより、
正しい心で健全に成長する事を祈念して奉安されました。



不思議な出来事が
一緒に行った者が見たのですが、
『左の方から馬の群れがなだれ込んできた』と言ってました。
もちろん霊的事象ですから写真にも写っていません。


飯縄大権現(いづなだいごんげん)

本尊の飯縄様は、
不動明王・歓喜天(カンギ天)・迦楼羅天(カルラ天)・荼吉尼天(ダキニ天)・弁財天の
五つの仏様が集まった姿をしております。

薬師寺の僧侶行基(ぎょうき)が高尾山を開山してから約600年後の
西暦1375年、荒廃した高尾山を修復し、
さらに現在のような華やかな寺院に改修したのが
京都山城国醍醐山の高僧、俊源大徳(しゅんげんたいとく)だといわれています。

この俊源大徳が高尾山琵琶滝で修業した際に
飯綱権現(いづなごんげん)の霊感を体得したことが、
高尾山での飯綱権現の信仰の始まりです。

高尾山といえば天狗ですが、
天狗はこの飯綱権現の随身であり、古くから神格化されてきました。
高尾山の天狗信仰の起源ですね。

行基菩薩開山以来「薬師如来」を本尊として奉祀してきた高尾山は、
俊源大徳の祈請によって「飯縄大権現」を勧請し、
以来これを本尊として奉安しています。


「飯縄大権現」は、その信仰の起こりとしては、
信州善光寺の北にそびえる飯綱山、戸隠山一帯に淵源を発する。
この地方は善光寺の起こりと共に仏教の歴史も古く、
戸隠、飯綱の山岳信仰も古い修験道の歴史を伝えています。

飯綱山は、戸隠山と共に我が国修験道の始祖、
役の行者神変大菩薩(えんのぎょうじゃじんぺんだいぼさつ)によって
山岳修験道場の基礎が開かれました。

飯綱山は、初め飯綱大明神と称し、天皇足穂命が降臨した所として崇められていたが、
天福元年(1233年)水内郡萩野城主、伊藤兵部太夫忠縄が山頂に飯縄大権現を祀り、
修行の後、神通力を得て、百才以上の長寿を得たといいます。


この仏舎利塔には、お釈迦さまの教えそのものを表しています。
それは、人はどう生きるべきかという事です。
自分の心に自信を持ち、思いやりを大切にして、正しい物事の判断の仕方で、
正しく生きるべきであると。

お釈迦さまは、「心のふるさと祈りのお山」の高尾山より、
生きとして生けるもの全ての心の安定の様子を見守っておられます。




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