日本基督教団藤崎教会は、今年1月から改修工事を行いましたが、その時に発見された書であります。
陸奥新報、東奥日報(2010年5月20日)にも報じられました。
この書は、日本発の盲目の牧師とされる「藤田匡」が、視力を失う前12歳の時に筆をふるったものであります。
教会(松村重雄牧師)では、書を専門家に見てもらい、展示方法を検討しています。
藤田匡
1859(安政6)年~1940(昭和15)年
町医者の長男として藤崎町に生まれた
藩校・稽古館に平民では異例の入学を果たし「津軽の三奇童」の一人
眼病を患い、14歳の頃から視力が衰え、やがて失明。
この間、父母が亡くなり、自宅が焼失するなど辛苦し見舞われたが、
明治の代表的なキリスト者「本多庸一」に出会い、25歳で洗礼を受け牧師となる。
穏やかな対話と説得力のある説教で多くの信者の心をつかみ、藤崎教会に隆盛をもたらした。
津軽各地や秋田県で伝道に従事し、藤崎教会の牧師も3回にわたってつとめた。
陸奥新報、東奥日報(2010年5月20日)にも報じられました。
この書は、日本発の盲目の牧師とされる「藤田匡」が、視力を失う前12歳の時に筆をふるったものであります。
教会(松村重雄牧師)では、書を専門家に見てもらい、展示方法を検討しています。
藤田匡
1859(安政6)年~1940(昭和15)年
町医者の長男として藤崎町に生まれた
藩校・稽古館に平民では異例の入学を果たし「津軽の三奇童」の一人
眼病を患い、14歳の頃から視力が衰え、やがて失明。
この間、父母が亡くなり、自宅が焼失するなど辛苦し見舞われたが、
明治の代表的なキリスト者「本多庸一」に出会い、25歳で洗礼を受け牧師となる。
穏やかな対話と説得力のある説教で多くの信者の心をつかみ、藤崎教会に隆盛をもたらした。
津軽各地や秋田県で伝道に従事し、藤崎教会の牧師も3回にわたってつとめた。