朝6時から洗濯物を干す。妻、9時前に出発。テレビでWSを見る。カップ酒をを飲みながらの視聴である。言い訳のように歌集を読む。短歌を作る。歩数は2,417歩だった。
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一本亭と輪王寺宮(『狂歌東乃春』より抜粋)
としころやつかれ思ふことあれハ玉の絵をかきてミかいたらみかいたたけに光るなり性根玉てもなにのたまてもとよみて人々に送りけるか既に
一万枚におよひぬこたひはからす」(十三ウ)
日光准三宮大王此事を聞しめさセられこその霜ふる月の末つかたかたしけなくも昇殿のミゆるしを蒙り奉り恐れおほくも玉座ちかきところにめさせられ御席上におゐて宝珠のかこ狂歌をもしたゝめ台覧に備へ奉りしことを恐れ入て ありかたやわれハ琥珀のそれならて玉につきてそあかるちりの身と左右の御方へ申上侍りぬれハいと興しさせ給ふよしことにその折からの御筆一管をも頂戴しありかたさのあまりハたとへんかたなく冥加のほともいとおそろしくて初はるにかくなん申侍る
*「日光准三宮大王」。「日光」だが『山川 日本史小辞典 改訂新版』で「輪王寺(りんのうじ)」を見ると「東京都台東区の上野公園にある東叡山寛永寺の本坊。当寺3世の後水尾天皇の皇子守澄(しゅちょう)入道親王のとき,日光に輪王寺の寺号が与えられ,親王が日光輪王寺門跡と寛永寺の住持を兼ね,輪王寺宮と号したのが始まり。以後代々の輪王寺宮は寛永寺に住み,江戸と日光を往復して両寺を統轄した。」とある。「准三宮(じゅさんぐう)」は太皇太后,皇太后,皇后の三宮に准ずる待遇を与えられた人。「大王」は皇族の敬称である。
* 当時の輪王寺宮は「公遵入道親王(こうじゅんにゅうどうしんのう)」(一七二二~一七八八)と思われる。「江戸時代中期、中御門(なかみかど)天皇の第2皇子。/享保(きょうほう)7年1月3日生まれ。母は清水谷石子。享保15年親王宣下をうけ、16年京都毘沙門堂にはいり出家。元文3年輪王寺門跡(もんぜき)。延享2年天台座主(ざす)となり、寛延2年再任。天明8年3月25日死去。67歳。俗名は保良(やすのり)。号は随自意院、随宣楽院。著作に『随宣楽院宮詩文集』など。」(日本人名大辞典)
*「霜ふる月の末つかた」=陰暦の一月末。
*「宝珠のかこ狂歌」=「宝珠の加護狂歌」と読んだ。
*「台覧」=「皇族など高貴な人が見ること」(デジタル大辞泉)
*「筆一管」=「筆一本」に同じ、数え方。
於関東旅亭
浪花一本亭
松濤芙蓉花
誠のこと申も恐れおほん筆かく有かたき年のはしめに
やつかれの狂歌實珠のかこをうつせし南都」(十四オ)古梅園の墨に若狭国なりけるめしの昆布をとりそへ恐なからおなしく台覧にそなへ奉るとて御取次へ申上侍る
*「古梅園」=「墨の老舗の屋号。また、そこで製造した墨。江戸時代に奈良で創業され、江戸日本橋にも支店があった。」(デジタル大辞泉)
*「めし(召)」=「貴人・上位者が物などを取り寄せること。御請求」(日本国語大辞典)
春のきてあら玉の墨をたてまつるいはふ若狭のよろこんふそへ
*「あら玉」=「(新玉)《枕詞「あらたまの」が「年」にかかところから「新玉の年」の意に用いる》年の始め。新年。正月」(デジタル大辞る泉)
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