いじめられても小学校に行きたい!
家にいるよりはマシ!(家より学校の方がまだしも厭なこと不合理なことが少ない!)
と思っていたわたしですが、朝学校に行こうとすると「学校行くな!」という怒声が聞こえ、玄関でランドセルを引っ張られ、ランドセルに体重をかけられて転倒させられる、ということがよくありました。(言うのは父、ぶち倒し実行犯は母。)
そんなバカな! 子供に「学校行くな」なんて言う親がいるわけない!…とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、
いたんです。実話です。
わたしの父は、そもそも日本が嫌いだし、日本の義務教育への不信感があったのです。
家でせっかく独自の教義(物質主義は駄目だとか、天皇制は駄目だとか)を植えつけているのに、学校に行くせいで消費社会の悪風に染まる、君が代斉唱とか平気で言うような環境に晒される——だったら行くな!と。
「義務教育っていっても、罰金払えば行かなくていいんだ!」というのが父の口癖でした。(この言葉の真偽のほどは未だにわかりませんが。)
そんなに公立学校に行かせるのが嫌なら、めちゃくちゃ独自の校風で父も納得できるような私立学校でも探せばいいようなものですが、たぶん、そういうことではなかったんです。
要は、うちってカルトだったから!
外からのいかなる情報も、父以外の価値観も、子供に与えたくなかったのでしょう。
情報統制とか言うと大げさかもしれません。うちにはテレビも存在していて、世間の情報から全く隔絶されていたわけではありません。
が、しかし、
見たいテレビ番組を子供の私が勝手に選べたりする機会は、絶対になかったのです。
父が決めた番組を、夕食後に黙って三人で見る。これがルールでした。
クイズ番組なんかが中心で、アニメなどはほとんど見せてもらえませんでした。『サザエさん』『ハイジ』など、学校で話題に出るポピュラーなアニメを私は一回も見たことがなく、友達の話についていけませんでした。
普通は「教育に悪そう」なテレビ番組を避け、子供に害の無さそうな番組を選ぶ、という方向でセンサーシップが働きそうなものですが、うちの父はなにしろ「反権力の芸術家」なので価値観が逆で、「小市民的なものはダメ、でもアナーキーなものはいい!」ということで、『8時だよ全員集合』などはOKでした。(全員集合をPTAがワースト番組として名指しした、という話が逆に父の心の琴線に触れたようです。)アニメはほぼ禁止に近かったのですが、父が「ナンセンスで面白い」と判断した赤塚不二夫のアニメは一時期見ていた覚えがあります。(あまりに古い記憶なので題名などは失念。)
たしか小学校四年生ぐらいの時、みんなが急に『およげ、たい焼きくん』という歌を歌い出し、なんだなんだ、いったいどういうテレビ番組でどう流行っているどういうものなんだ⁇と、わたしは冷や汗をかきました。
知らないと言うとまたバカにされるので、みんなが歌う『たい焼きくん』を必死に聞いて覚えようとしました。
何とか覚えたつもりだったものの、「全校集会」とかいう場で、みんなでこの曲を歌いましょうとなった時、一人だけ、微妙な休符のところで4分の1拍ぐらい早く歌ってしまいました。(元うたを一回も聴いたことがないから仕方なかったのですが。)
千人以上いる全校生徒の中で、たった一人、わたしだけが、シーンとしている時に早く歌い出してしまった…
たかがたい焼きくん、されどたい焼きくん。わたし以外の小学校全員が、ひとり残らずテレビによって正しくインプットされていて微妙な休符のところで正しく沈黙していた——そのことがわたしには結構つらかったのです。ああ、究極の疎外感。いくら「みんなと同じ」ふりをしていても、異分子だということがこうやってバレてしまうんだな、とその瞬間強く思いました。
あまり楽しいことがなかった小学校時代。唯一の心の逃げ先は、食べることだったかもしれません。
(次回に続く)