今回の”暮らしの手帖 1969/winter”の”きく”で取り上げられているのは当時来日していた若き指揮者”ズービン・メータ”に関する記事です。
1970年代良く耳にする指揮者の名前でした。
当時はカラヤン、カール・ベーム、レナード・バーンスタインとそうそうたる指揮者が活躍していましたが
その中で移植の指揮者で若手指揮者のホープ的な存在だったように思います。
その音楽性を彼の出身地であるインド(東洋)と関係づけての話で興味のわく内容です。
今回の”暮らしの手帖 1969/winter”の”きく”で取り上げられているのは当時来日していた若き指揮者”ズービン・メータ”に関する記事です。
1970年代良く耳にする指揮者の名前でした。
当時はカラヤン、カール・ベーム、レナード・バーンスタインとそうそうたる指揮者が活躍していましたが
その中で移植の指揮者で若手指揮者のホープ的な存在だったように思います。
その音楽性を彼の出身地であるインド(東洋)と関係づけての話で興味のわく内容です。
この号で興味を引いた記事は”あきれた郵政省”と“書き物机”です。
書き物机は大型工作第3弾として取り上げられていました。
型紙でパーツ取りの図面とその組み立て図が写真付きで解説されています。
作ってみようかなと思わせるしゃれたデザインで工作付きな人には興味を引かせる内容です。
次に”あきれた郵政省”の記事は最近こういう試みをするような記事は見られなくなりましたね。
実際郵便物がちゃんと届くか何日で届くかの実証試験です。
NHKの“試してガッテン”といおう番組がありましたがこういう取り組みも番組に取り上げて欲しかったなと思わせる記事です。
今では何かの事件や事故でニュースにならないと確認されないような事を事前にチェックする事が行われていないような気がします。
それを少ないマンパワーで必死に実行している律義な記事です。
この号で興味を引いた記事は“古風な寝台を作ろう”と”どうしてビスケットにまで色を・・・“です。
まずは“古風な寝台を作ろう”ですが、型紙のサイズが細かく紹介されてその組み立て方が写真入りで紹介されています。
この記事で何人の方がベッド作成を実行されたんでしょうか。本立てくらいであれば日曜大工的な記事で受け入れられますが
ベッドを作るという発想すらなかったので驚きの記事です。
次の”どうしてビスケットにまで色を・・・“の記事には納得です。この頃から合成着色料が使われていたんですね。
子どもの時期をこの時代に過ごした自分としてもいかに知らずに体内に取り込んでいたことを考えると、昭和初期生まれの人と同じように長生きは出来ない気がしてきます。
1969年秋号の記事です。
今回は音楽の話題ではなく山手線の駅の案内放送の音質についての記事でした。
この記事のおかげで構内放送の音質にも多少改善が見られたんでしょうね。
気にすることで少しずつ改善されるそんな時代だったのではないでしょうか。
この時はまだ13歳、東京へ初めて行ったのは21歳でしたから駅の構内の音について不快には感じた記憶がありませんね。
あれからもうすぐ40年がたとうとしています。
東京への用事が全くなくなって情報はTVの画面のみですが、それほど行ってみたいと思わなくなった今日この頃です。
また別の話題として今では通常のオーディオアンプには標準でついている機能の一つであるサラウンド効果やサラウンドアンプの話題が取り上げられています。確かに生の音を追求することでアンプやスピーカーが改良されていった走りの話ですね。
今は自宅に5.1CHのサラウンド環境を整備しているんですが、たいてい2CHのステレオモードでしか聞かない自分がいるのはのは何ででしょうか?
我が家に残されていた「暮らしの手帖」を読み返して気になる記事を紹介していきたいと思います。
読み返すと言っても私自身は初めて読むことになります。
というのも義父が愛読していたようで何冊か大事に保管されていましたのでこのままゴミになっていくのもおしいので
少しでも紹介できればと思って読んでいます。
今回紹介する記事はバッハ作曲 「マタイ受難曲」についてです。教会音楽と演奏会での対応について考えさせられる記事になっています。
曲についての予備知識があるのと無いのとでは大きな差が出てくるので余計にクラシックを聴く事に壁を感じるのでしょうね。
これは外国の音楽に限ったことではなく日本の古典芸能にも同じ事が言えるのではないでしょうか。
何でも”知る”と言うことが大事ですね。
誌面の段組がうまく抽出できていないので読みづらいかもしれませんがご容赦ください。