小学校3年生の時に
引っ越すまで暮らしていた家の
二軒隣りに
ときちゃんという
ひとつ年上の友達がいた。
ときちゃんは
眉毛の上でパッツンとカットされた前髪
後ろは刈り上げという
昭和の子供の正しいオカッパ頭をしていた。
・・・・・・・・・・
ときちゃんはお父さんと二人暮らしで
「佐々木アパート」という
普通の一軒家の一間毎に
ひと家族が住んでいるという
集合住宅(?)に住んでいた。
お父さんは
戦後10年以上経っても
国民服を着、
頭は五分刈り
足には下駄を履いて
仕事に行かれていた。
昭和30年代には
まだまだこんな格好のオジサンが
いましたね🙄
夕方、
仕事から帰ってこられると
買い物カゴを下げて
商店街に買い物に行かれる

ときちゃんのお家(お部屋)は
「佐々木アパート」の2階の表側。
お部屋の一部が板の間で
そこに七輪が置いてあって
そこでお料理されていたんだろうな。
その頃私が住んでいた辺りは
色んな職種の
色んな人が住んでいる
下町な感じで
夕方になると
お米の研ぎ汁を植木にやるオバサン
腰巻きに
首には手拭いを掛けて
手には団扇を持って
夕涼みに出てくるオバアサン
昭和30年代
まだまだみんな貧しくて
でもとても逞しくて
今から思えば
なかなか面白い時代だった。
<つづく>
引っ越すまで暮らしていた家の
二軒隣りに
ときちゃんという
ひとつ年上の友達がいた。
ときちゃんは
眉毛の上でパッツンとカットされた前髪
後ろは刈り上げという
昭和の子供の正しいオカッパ頭をしていた。
・・・・・・・・・・
ときちゃんはお父さんと二人暮らしで
「佐々木アパート」という
普通の一軒家の一間毎に
ひと家族が住んでいるという
集合住宅(?)に住んでいた。
お父さんは
戦後10年以上経っても
国民服を着、
頭は五分刈り
足には下駄を履いて
仕事に行かれていた。
昭和30年代には
まだまだこんな格好のオジサンが
いましたね🙄
夕方、
仕事から帰ってこられると
買い物カゴを下げて
商店街に買い物に行かれる

ときちゃんのお家(お部屋)は
「佐々木アパート」の2階の表側。
お部屋の一部が板の間で
そこに七輪が置いてあって
そこでお料理されていたんだろうな。
その頃私が住んでいた辺りは
色んな職種の
色んな人が住んでいる
下町な感じで
夕方になると
お米の研ぎ汁を植木にやるオバサン
腰巻きに
首には手拭いを掛けて
手には団扇を持って
夕涼みに出てくるオバアサン
昭和30年代
まだまだみんな貧しくて
でもとても逞しくて
今から思えば
なかなか面白い時代だった。
<つづく>