こまちゃん

爺婆ふたり生活の日記

藤純子と富司純子

2010年10月21日 | 親の介護録
父と昼食を食べていると
連続テレビ小説のてっぱんが始まった

「この女優 知っとるわ」と父が言った

藤純子(ふじじゅんこ)やと得意げに名前を言った

母が生きている頃、両親が一緒にテレビを見ていて
「これ、誰や?」と父が母に聞き
「これは、…やがな。何回でも聞くね」と母は呆れたように笑っていた

母は認知症気味で、ご飯食べたことを忘れても昔の役者の名前はよく覚えていた

父は認知症はないのだが役者の名前を覚えるのが下手だったらしい
今日は得意げに名前を言っていた

今は富司 純子(ふじ すみこ)に変わっているが黙っておこう

肉親を亡くす悲しさ

2010年10月15日 | 親の介護録
母が亡くなってから半年以上過ぎたのに
ふっと母の事を思い出し涙がとまらなくなることがある
母が亡くなった日の悔悟が頭をもたげるのです

その日、母の様子が良くないと思いつつも
父の食べるものを買いにスーパーへ行ったのです

どうしても買いに行かなくても良かったのに
もっと急いで買い物をすることもできたのに

その時、何か少し疲れを感じていて
家の外の空気を吸いたくて出かけたのです

母のいない生活になれてきて落ち着いてくればくるほど
あの日の自分の行動が情けなく申し訳なくなり
ふっと思い出してしまうのです

父の寝室の母の遺影はいつも微笑んでいる
その笑顔を見ると涙してしまう気がして見ないようにしている
しかし、そういう自分がまた嫌になるのです


父は日記のようなメモをノートに付けているが
数日前、(秋子死亡)と
母の死を確認しているように記されているのを見た

父もまだ、母の死を受け入れられないんだ


   


夫の甥と姪は幼くして両親を亡くした

私たちが養育することになり、
私は、それなりに楽しい時間を過ごし、彼らは成人して独立していった

当時、幼い子供を残してこの世を去った弟夫婦の無念な気持ちは察することができたが
今、自分の母を亡くすまで彼らの心の痛みは本当には分かっていなかった
(一生懸命すれば彼らを幸せにできる)と思っていたのは思い上がりも甚だしかったと思う


60歳過ぎて、母を亡くしたからといつまでも悲しんでいてはいけないと思うのだが…

ウトウトして元気がない

2010年10月12日 | 親の介護録
3日ぶりに実家の父のもとへ行ったが
元気がない

部屋をのぞくとテレビがついているので
「おはよう」と顔を覗くと眠っている
テレビは国会中継をやっていた

昼食の用意ができて、食べようと言うと
ベッドサイドに腰かける
そうして、用意した昼食は完食するが
台所を片付けて見に行くと
又、眠っている
テレビは国会中継をやっていた

夕方、「帰るね」と言うと
「うん」と言うが、
私を見ないで目はテレビから離さない

テレビは水戸黄門をやっていた

元気がないと思うのは気のせいかな

やっぱり癌は消えたんだと思う

2010年10月05日 | 親の介護録
先日も書いたが父の膀胱癌の症状が出なくなった

癌と言われた頃は、
貧血を心配するほど赤い血尿で、血の塊も混ざっていたが
今はきれいで濁りや浮遊物もない

今日は往診の日
医者に「がん細胞が消滅したんじゃないかしら」と尋ねてみたが
「う~ん。元気そうに見えるね」とおっしゃるだけ

父に膀胱が悪いとは言っても癌とは言っていない。
「この頃、顔色が良いね」とか「おしっこの色も良いね」と話すと
嬉しそうに、「そうか」と言う

癌治療をしてもらうつもりだった市民病院で
「数か月ごとに検査だけでもどうですか?」と聞かれたが
癌の治療はしないと決めたのだから検査の意味がないと思いそれもやめた

だから、本当に癌が消滅、減退したかどうかは定かではない

そもそも
父の膀胱癌の症状が出たのは母が亡くなってすぐの事だった

多発性骨髄腫末期の母を退院させ
自宅で夫婦が手の届くほどの位置のベッドで寝ていた

看護師さんやヘルパーさんや子供たちとともに
父は歩くのが不自由だが献身的に母の世話をしていた
きっと、二人っきりになる夜は寝られなかったと思う
それでも、両親は幸せそうだった

その頃は、まったく、父の体に異変はなかった

母が亡くなってすぐ、血尿が出て
診てもらったら大きな膀胱癌であると言われ、
取り除くことはできないので
癌をなくすには膀胱摘出しかないと言われ
色々考えて治療をしないで家で過ごすことを選んだ。

母が亡くなった時は
今までに見たこともないほど嘆き悲しんでいたが
半年ほどたち母の死を少しづつ受け入れてくると
泣くこともなくなり、
母の事を懐かしく話すようになった

それとともに
膀胱癌の症状が薄れてきて今は無くなったように見えるのです

気の持ちようで癌が消えるとは思わないが
父はとても元気になってきたのです

暖か毛布

2010年10月04日 | 親の介護録
朝夕めっきり涼しくなって父の寝具を秋冬用に替えようと思う

生前の母が元気な頃、たくさんの寝具を丁寧に片づけていた
物のない頃に子育てをして苦労したのか何でも大事に片づけてある。
しかし
スーパーで暖かそうな毛布を見ると、父にこんなの着せてやりたいなと思う

家に毛布は数枚片づけてあり新品もある
だが、今の毛布は当時の物と比べて品質が良く軽くて暖かい

暖かそうな毛布を前に買おうかやめようか悩んでいると
「もったいない」と言う母の顔がチラチラ浮かび決めきれない

父に聞いてみよう

ひとりでは大変と分かっているけど…

2010年09月28日 | 親の介護録
実家の台所で昼食の後片付けをしていたら
「濡れてまったわ」と父の大きな声

ベッドサイドでテーブルに手をついて立ち
濡れた下着のまま困り顔でオロオロしている

下着を履きかえるのに長く立っているのは辛そうに思える

私が手伝える時は
下着を脱ぐのに片足を上げた時、同時に新しいのを履かせ
もう一方も同様にして手早くできる

これを父が1人の時に自分でやるのは大変だろうと思う

いつも傍に居れれば良いのだが…

パンが食べたい

2010年09月27日 | 親の介護録
4~5日の間
弟とヘルパーさんに父をお願いして旅行に行ってきたが
時々、ふっと心配になっていた

今朝はいつもより早めに実家へ行き
寝室をのぞくと
父がベッドに腰かけて新聞を読んでいた

元気そうなのでホッとした

「何か食べたいものない?」と聞くと
「たまにはパンが食べたいな」と言われびっくり。

父は肉が大好きだ
喜んでもらおうと
肉料理や野菜の煮物を多くしていて
パンを食べたがっていたとは思わなかった

これからも良く聞いて用意しなきゃと思った

信じられないほど元気

2010年09月14日 | 親の介護録
父は毎週、往診をしてもらい今日はその日。

「とても元気そうですね」と先生も驚くほどだ

3か月ほど前に末期の膀胱癌と言われ
治療を断念して家に連れ帰ったが
それが良かったか否かと思い悩んだのがうそみたいに
日に日に元気になっている

当初は濁ったり血尿だったりしたのが
今は目で見る限りはきれいになってきた
尿がきれいになるにつれ元気になる気がする
頻尿も少しずつ間隔が開いてきた

ただ、尿意を感じてから出るまでの時間は短い
だから、下着を濡らすことは多い
でも、これも当初より少なくなっている

お盆までもたないかもと心配したのも嘘のように
今日はトンカツをおいしそうに食べた

苦労の思い出

2010年09月10日 | 親の介護録
実家の風呂にはシャワーがない

数年前、トイレの改修した時
風呂もやろうと言ったが
父は
「シャワーなんか使わん」とそのままになった。

体が不自由になり、1人で入れなくなって
同居している弟が入浴の介助や見守りをしている

父の頭が少し匂う
弟に言うと
「シャワーがないと頭洗えんわ」と言う

(もっとも)と思い
シャワーだけでも付けれないか業者に聞いてみた

シャワーを付けることは難しくないけど、風呂の中の板が傷むよと言われた

この風呂は
父が30年以上前の定年後に建材を購入して母と一緒に少しづつ造ったものである
建材は水に強いものを選んだそうだが既にブヨブヨした感じがする

でも、この風呂は父の若い頃の力作で
お金がない頃の苦労した母との思い出もある

シャワーを断念した

要介護認定

2010年09月09日 | 親の介護録
要介護3で前回と同じと認定された

身体状態の目安として
要介護3は
 みだしなみや居室の掃除など身の回りの事が、自分ひとりでできない
 立ち上がりや片足での立位保持などの複雑な動作が、自分ひとりでできない
 歩行や両足での立位保持などの移動の動作が、自分でできないことがある
 排泄が自分ひとりでできない
 いくつかの問題行動や理解の低下がみられることがある
となっていた

身体能力はもう少し悪いが、問題行動や理解の低下が軽いから妥当だと思う


血液検査の結果

2010年09月07日 | 親の介護録
検査結果

血清総蛋白 6.4→5.9 (6.5~8.2)蛋白不足
HDLコレステロール 36→35 (40~75)善玉コレステロール
尿素窒素 32→24(8~20) 腎臓機能低下
血糖 175(70~109) 糖尿病 治療中の夫より悪い
赤血球 404→400(420~570) 貧血気味
BNP 184(18.4以下) 心不全の傾向 200以上治療要

数字に大きな変化はないが、少しづつ悪くなっている

父を見ていると元気になっている気がしていたのに
血尿も2週間ほど出ていないし、
ベッドサイドに腰かけて食事をし
終わっても座ったまま話をしているようになったし
排便も3~4日毎に自然に出ているし

ただ、毎日入っていた風呂を
「めんどうや」と
入らない日があるようになってきたことが気がかり

母の代わりはできないよ

2010年09月02日 | 親の介護録
水曜日は、ヘルパーさんに父の介護をお願いしている

ヘルパーさんにはとても良くしてもらっているが
父は話をしないようだ
同居している弟も帰宅すると寝てるからと
あまり話をしないと言う
一日中、テレビの音の中でウトウトしているようだ

この間から思っていたのだが
木曜日に行くと
不安げな、不満げな、腹立たしげな顔をする気がする

今日も、部屋に顔を出すといきなり色々しゃべりだす
最初は不満を訴えるのだが、
(この不満も私が水曜日に来ないということはいっさい言わないが)
相槌を打ちながら聞いていると
話は戦争中の事になり、母との馴れ初めの事になり、ドンドン話す
(何度も聞いた話だが…)

しかし、昼食を一緒に食べる頃には笑顔も出てホッとした

昼食の後は、2時間ほど眠っていた

頻尿の父にとって2時間も眠るというのは最近珍しいことで
頻尿が良くなってきたのかなとか
疲れて眠ってしまうほど話したかったのかなとか
考えてしまう

4月に母が亡くなるその日まで
母は末期の血液の癌であったにも関わらず
(その頃、父も末期の膀胱癌だったのに本人も家族も気がつかなかった)
大きな声で笑ったり、時には喧嘩をしたりして
いつも、にぎやかだった

私がどんなに頑張っても
父を腹の底から笑わせることはできないなと思う

私は母の代わりはできない
その上、毎日来ることもできない

癌の進行が止まったみたい

2010年08月27日 | 親の介護録
ここ2~3日、父の調子がいい

尿がきれいになったし、下着を濡らす回数も減ってきている
食事の時、背中に布団などを置いてもたれて食べ
食べたらすぐ横になっていたのに
今日などベッドに座って新聞を読んでいる
「見出しを見ているだけや」と言うが座り方がシャンとしている
食事も量は少ないものの品数は多いが完食してくれる

不思議だ。良くなってきている

母の時も癌の末期で余命数カ月と言われて7年生きてくれた
父も末期癌の治療をしないと選択したのは正解だったと思う

天寿を全うして老衰で眠るように逝かせたいという夢も叶うかも知れない

エアコンのすぐ前が良い

2010年08月26日 | 親の介護録
父がベッドの位置を変えてほしいと言う
寝室は6畳間でそこにベッドとテーブル、ポータブルトイレや電話台、TVがあり
TVの上にエアコンがある
「エアコンのすぐ前にベッドを移動してほしい」
「エアコンの風が直接体に当たると良くないよ」

どうしてもと言うので重いベッドを夫に手伝ってもらって動かした

部屋の真ん中にベッドを置いて、必要なものをその周りに移動したが
すぐ、(やっぱり、元に戻して)という気がする。

父に何度も確認したが
「これで良い」と言うので
「都合悪いことがあったら、いつでも元へ戻すからね」とそのままにしておいた

昨日買った敷きパッドは
「これは良い。気持ちいいわ」と喜んでくれた

夜、同居の弟から
「少し、ベッドを元の位置に戻したから」と連絡があった

父が一日中いる部屋だから
何度でも替えて納得行く部屋にしてあげたい

敷きパッド

2010年08月25日 | 親の介護録
父のベッドのシーツやその上の敷きパッドは
清潔に気持ち良くしておきたいと思っている

洗濯するのに替えようと思うと
「これは足が引っ掛かる」とか
「固くって体が痛い」と言って
気にいった一枚をなかなか替えさせてくれない

同じ風合いのものを買おうと思っても
タオル地やパイル地、ガーゼ地もダメということで探すのは難しい

ふんわりして柔らかく引っ掛かりのない生地のものが見つかったので購入した
夏用ではないが、部屋はクーラーが効いているからいいかな
明日、持って行く