Discの裏に。

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手間がかかることの愛らしさ 人喰いの大鷲トリコ 感想

2017年02月03日 | genDESIGN(team ICO)

人喰いの大鷲トリコ ネタバレ含む物語感想

あらためまして、あけましておめでとうございます!

更新はまちまちになっておりますが、今年も当ブログをよろしくお願い致します。

今回の文章はネタバレを含む感想です。考察についてはまたあらためて書き残したいと思います。

○ついに発売

昨年、2016年12月6日、待ちに待った「人喰いの大鷲トリコ(以下、大鷲トリコ)」がついに発売されました。

当初は10月25日に発売される予定でしたが、発見されたバグの修正に伴い延期となりました。

発売日が変更された12月6日。この日は偶然にも、「ICO」が発売された月日と同じものでした。

「ICO」発売から15年。「大鷲トリコ」の発売をこのような形で迎えられたことは、ファンとしても感慨深い気持ちです。

本当に、ひたすらに待ちました。

あまりにも長く待ったせいか、発売日が発表されても実感がわかないまま発売日を迎え、今でも夢の中にいるような気持ちになります。

「待つ」ことを日常の片隅に置きながら、気持ちの糸を繋ぎとめ続けていたので、それが終わるという寂しさも感じていました。

Web限定のCMの台詞にもあったように、

「出たら出たで、寂しい」

発売を待っていたファンの気持ちを一言で表したこの言葉。共感した方は多いと思います。

○ゲームとしての体験

発売から2ヶ月が経とうとしていますが、遊び終わった後もゲームでの体験はしっかりと記憶に刻まれるものでした。

今では、ゲームもジャンルやスタイルが多様化していますが、「大鷲トリコ」でしか体験できない、濃密な時間や心に訴えかける圧倒的な存在感がありました。

大鷲であるトリコの羽に実際に触れているような触感、たしかに僕はトリコと冒険をしたのだという経験、トリコと協力し助け合い、一緒に過ごした時間が思い出のように心に残り、架空の存在でありながら二度と戻らない時間の中にトリコも存在していて、そこに自分自身の感情も刻まれたような、大切な記憶になりました。

障害を乗り越えてクリアしていくゲームらしさはありますが、プレイ時間は約15~20時間。

ゲームソフト1本買って遊ぶ行為は、映画のように一度きりの趣向や娯楽ではなく、何度も遊べるものです。

そのゲームソフト1本を遊ぶ時間量としては、昨今のゲームにしては短いものです。

攻略の駆け引きもなく、ゲームコントロールの腕を競ったり、高度な操作をさせることで達成できる快楽もありません。

物語の進行は一本道。マルチエンディングやストーリー分岐もありません。

パートナーである大鷲トリコは、プレイヤーの言うことを聞いてもすぐには動いてくれません。

指示が伝わっているのかいないのか、思い通りにいかない煩わしさ、ストレスも感じます。

ゲームプレイそのものも、コントローラーでキャラクターを動かして気持ちが良いという清々しさからは程遠いものです。

ともすると、これはゲームではないのかもしれません。ですが、コントローラーを握るゲームでしか味わえない体験です。

この面倒な存在へ、手間をかけたくなる気持ちはなんでしょう。

留まって羽をなでてあげたい。槍を抜いて血を拭ってあげずに、どんどん先へ進むにはかわいそうだと思う気持ちはなんでしょうか。

そんな手間のかかる存在との時間が思い出になった今は、この世界にあるものが愛おしく思えてなりません。

○トリコの気持ち

「大鷲トリコ」は「ICO」と「ワンダと巨像」以上に、言葉の通じないパートナーと行動を共にします。

少年とトリコはそれでも互いに協力し合います。

少年は、トリコの体に刺さる槍を抜き、怪我を癒し、樽を食べさせ、鎖から解き、トリコのための道を開きます。

トリコは、少年が越えられない崖を飛び越えてくれて、口や尻尾で受け止めてくれ、少年を連れ去る鎧を真っ先に攻撃し、少年が進むための道になります。お互いがお互いを必要としています。

少年は数体の鎧にはまったく敵いませんが、トリコはなんなく倒すことができます。

トリコはガラスの目玉が苦手ですが、少年はそれを取り除くことができます。

そのために少年は細い綱も渡りますし、ガラスの目を持った鎧に体当たりもできます。

少年がいよいよ大量の鎧に連れ去られそうになった時、トリコは苦手なガラスの目玉の障害を打ち破って少年を救います。

枝に引っかかった少年に、何度も手足を伸ばし、ジャンプを繰り返し、何度落ちても少年を助けたトリコ。

トリコはどんな気持ちで少年と行動を共にして、少年を守ろうとしているのでしょうか。

落雷で落下した後、鎖から解放してくれたのは、一度は犠牲にしようとした少年です。

人喰いではないにしても、もしかしたら、落下して羽が折れてしまってもなお白い塔へ少年を連れて行き、いつものように装置へ流し込むつもりだったのかもしれません。

白い塔へ進むための道を開く鍵として少年を利用していたのかもしれません。

しかし、気を失った少年の目を覚まさせようと爪で触ってみたり、水に浸してみたり、結果、目を覚ました少年を見て、トリコは飛び跳ねて喜んだのですから、少年を連れ去ろうというのはやはり白い塔からの洗脳、電波によって操作されていた行動だったと思うのが自然かもしれません。

決定的なのは、動物としてのトリコの口の役割かなぁと思っています。

○体内に含むという愛情

ゲームのタイトルに「人喰い」とあるように、大鷲は人を食べるのだと思われそうですが、物語が進行すると「人喰い」というのは人がつけた異名、またはレッテルであり、大鷲は人を食料として食べないことがわかると思います。

物語の中で、白い塔の力がトリコを人喰い、あるいは体内に取り込んだ人を人でないもの(緑色の液体で覆い、体に紋章を刻む)、塔のための何かにしてしまうか否かを左右するという解釈をしていますが、今は置いておきます。

トリコが人喰いではないという理由は、トリコと協力する中でも見受けられます。

少年から自発的に、トリコに対してスキンシップや触れることができるのは、少年の手とトリコの羽が生えている体全体です。

トリコから自発的に、少年に対して接触しているのは、トリコの口と少年の衣装です。

少年が崖を飛び越える時、高所から落下してトリコにキャッチしてもらう時、トリコが少年を背中に乗せる時。

トリコと少年が接触する機会が多いのがトリコの口です。

先程も書いた、少年が目を覚まさない時、口以外でトリコが少年に触れたのは足先で、しかも一度だけだったと思います。

他は口での接触がほとんどです。

これだけ少年がトリコの口に触れる機会が多い中で、トリコがもし人喰いなら、いつでも少年をパクリとできたはずです。

そして、トリコが少年を口から体内へ取り込んだのは、トリコが白い塔からの電波を受けていた状態の時です。

以上のことから、トリコがシラフ(電波を受けていない)状態では、生態として人を食べない。

もし体内に取り込んだとしても、人を人でないものに変えてしまうことはできないのではと思います。

そして、物語の終わりが近づく、白い塔の崩壊のシーンです。

少年は球体の破裂による洗脳の力を大量に浴びてしまい、気を失います。

その少年をトリコは口にくわえ、白い塔の天井に出て、外へ向かって走り出し、翼を広げて落下しますが、風を受けて飛ぶことに成功します。

少年をくわえたまま、飛距離を伸ばし飛び続け、大鷲の巣の外壁へ衝突するもなんとか辿り着きます。

くわえた少年を一度地面に置き、また口にくわえた時、今回はそのまま少年を口に含み、飲み込み、体内へ取り込んだのでした。

このシーンを見て、目頭が熱くなりました。

トリコは人を食べないにしても、洗脳を受ければ他の大鷲と同じように体内に取り込んだ人を変化させることができる存在なんだと知るのはショックなことですが、元々大鷲に備わっている生態として、食料とするもの以外を体内で守って運ぶ役割もあったとするなら。

歯がないトリコの口ばしや飛び立てる翼は、最後に少年を守って、無事に村へ運び戻すためにあって、トリコ自身もそれを本能で知っているのかもしれないと思いました。生物学的なことには詳しくないのですが。

「守りたいと思うものを食べる」、「体の一部にする」という行動に、深い愛情のようなものを感じ、涙しました。

英題の「The Last Guardian(最後の守護者)」というのはトリコのこういった特徴を表しているのかもしれないと思いました。

飛び立ったトリコはぼろぼろになりながら少年が暮らしていた村へ、体を地面に打ち付けるようにして着地します。

少年は僅かに気を失ったまま体には大きな変化もなくトリコから吐き出されます

人を食べたはずの大鷲から少年が返されたことを、村人たちは目の前に事実として見せられてもトリコに向けた槍は下ろしません。

きっと人の心に一度植えつけられた偏見は、簡単には消えないのかもしれません。

白い塔が壊れて洗脳は解かれたのに・・・。

トリコと少年の間に絆や信頼関係があっても、やはり一緒に暮らすべき生き物ではないのでしょう。

少年は薄い意識の中で精一杯、これまで何度もしてきたであろう"指示"をします。

「あっちだよ」 (私の脳内台詞)

トリコは少年の指差す方向を見ます。

今回もただの"指示"と受け取ったのか、別れと知っていたのか、トリコの本心はわかりません。

トリコが駆け出し、少年を飛び越える瞬間、少年の顔を映したのは唯一トリコの視点だったのだと思います。

あの瞬間に、お互いが離れなければならない決断だったことが通じ合っていたのだろうと思ったら、感極まってまた涙(泣きすぎ)。

トリコと少年は別れ、トリコは大鷲の巣へ戻って行ったのでしょう。

こうして、少年が体験した不思議なお話は終わるのでした。

○上田文人さんが作る物語

ワープ、SCEを経て、現在は開発スタジオであるgen DESIGNを立ち上げて、「ICO」から携わってきたスタッフの方々とゲーム制作を行っていらっしゃるゲームデザイナーの上田文人さん。

手がけた過去3作品の物語にはさまざまな解釈の要素があり、今回の「大鷲トリコ」にもそれは見受けられます。

それはまたの機会に書き残すとしまして、今回3作品をあらためて振り返ってみて、上田さんの作る物語の特徴を挙げてみます。

どの作品にも共通することなのですが、

「世界には古くからの慣習やしきたりが息づいていて、はっきりした正義や悪はなく、善悪の微妙なバランスを保っている。

主人公はそんな世界にいても、そばにいる大事な存在のためを思って(パートナーも主人公を思ったりサポートをする)行動し、それがいつの間にか世界の慣習やしきたりを打ち壊していて、その後の世界は新しい始まりを感じさせるものになっている」ことです。

世界を牛耳っている明確な悪を打ち倒して平和な日常が戻るという結末ではなく、主人公が精一杯気にかけて守れるのは身近にいるたった1人の存在だけで、その大切な存在を守ろうと戦っていると、それが気付かぬうちに世界の秩序と戦っていることになり、たった2人の絆が世界を再構築する壮大な話になっていますよね。

「ICO」では、少年イコが少女ヨルダと城を脱出しようと試みます。しかしヨルダを連れまわしたり、脱出させようとするのは城にとって良くないことです。

それでもヨルダと脱出できることを望んで、女王に剣を振りかざします。城は崩壊し、ヨルダは城を離れ、イコと新しい土地で暮らすことになったのでしょう。

きっと角の生えた子供たちも、生贄になることなないはずです。

「ワンダと巨像」では、青年ワンダが少女の魂を取り戻すため、古の地で16体の巨像を倒します。しかしそれは禁術であり、ドルミンという黒い影を甦らせる鍵となっていました。

すべての巨像を倒し、禁術を嗅ぎ付けたエモン達がドルミンを再び封じます。

だれも古の地へ踏み入れなくなりましたが、少女は魂を取り戻し、古の地で赤子のワンダと動物たちと暮らすことになったのでしょう。

「大鷲トリコ」では、少年は大鷲と一緒に白い塔を目指し、そこから大鷲の巣を脱出しようと試みます。しかし大鷲の巣は人が立ち入ることができない土地になっており、白い塔では大鷲に飲み込まれた子供が塔の為に利用されていることがわかります。少年は鎧に狙われ、トリコは洗脳された大鷲に狙われます。

白い塔を壊し大鷲の洗脳を解けばトリコが助かり、少年も狙われなくなります。鏡とトリコの力を使い、白い塔やシステムは崩壊。

大鷲が子供を飲み込んで連れ去ることはなくなりそうです。

しかし、ここで過去2作品と違うのは、一緒に暮らすことはなく別れているということです。

やはり動物と人は別々の環境で生きるべきということでしょうか。

結果、大鷲の暮らす世界でも、人の暮らす村でも、彼らを縛るものはなくなりました。

また、上田文人さんのゲームの物語には解釈の余地が残してあり、すべて説明がされているわけではありません。

遊んだ人それぞれに、その人だけの解釈があります。その人の感じた物語を聞くのも楽しみの一つです。

例えるなら「映画の予告編」と上田さんは仰っています。

「ICO」も「ワンダと巨像」も発売から年数が経って、設定資料集なども発売されていますが、物語に明確な答えは、制作者から多くを明言されたり明確にされていません。

日常も同じようなものかもしれないと最近は思います。

日々暮らしていても答えがわからないものや謎は身近にたくさんあって、調べてもわからないものや、判明しなくてそのままになるものがほとんどのように思います。

世界を見渡そうとすれば、さまざまな考え方や歴史、風習が複雑に混ざり合って存在しています。

善悪は矛盾をはらんだり、微妙なバランスを持って存在して、共存しています。

そのすべてを理解することなど到底できそうにありません。

でも想像することで、少しでも歩み寄ったり、考え方の違いの溝を埋めることができるかもしれません。

言葉の通じない相手との距離や伝わらない気持ちのすれ違いを無くしてくれるのは、私たちの想像力や優しい心の持ちようなのかもしれません。

○おわり

話が長く広がり過ぎましたすみません…。

「ICO」や「ワンダと巨像」同様に、「大鷲トリコ」も好みが分かれるゲームだろうと思います。

ただ、今まで以上に言葉の通じないパートナーとの交流に、気持ちの繋がりを感じるゲームだと思います。

そこから得られる体験は他にないものです。

どうかこれらの作品が、長く、たくさんの人に愛され続けますように。

上田文人さん、genDESIGNのスタッフの皆様、素晴らしいゲームを本当にありがとうございます!これからも楽しみにしています!

ここまで読んでくださってありがとうございます。

ではまた!


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