「遠回りの よろこび(幸せ)」
わが師いわく、「本来、人は 生れついて、幸せそのものなのだ・・・」Osho,
…私たち大人は、どこかで、誤ったのではないか・・・?
…ここで 私の言ってることが、すべて 100%だとは 言えませんが…ほかの要因も関係している… 自分の主だった〝傾向〟が、今からシェアすることに 当てはまっていたら、幸せに一歩!近づくために、じっくりと 自分自身と〝向き合う〟時間をもって、熟考して ・・・ 見て ください。
「遠回りの しあわせは、遠い。 あなた自身の幸せは ~ 遥か彼方!」
(私見)
いわゆる「しつけ」は、 条件付け/刷り込み とも言います…、同じ意味だと 理解しています。
…私たち大人は、子供たちのことを 思いやり「社会に適応できるように…」子供たちをしつけます。
「しつける」段階で、基本になる〝姿勢〟は、おそらく殆どの母親は「子供の将来にとって よかれと思う気持ち…から」だと思います。LOVE
そして それらは、社会(他・・)の ために、会社(他・・)のために、母校(他・・)のために、地域(他・・)のために、友人(他人)のために、家族(他人)のために、両親(他人)のために・・・・・・。
これらの最終目的を、ひとつの言葉で表現すれば「他人のために、良い人格を (しつけ)植え付ける」ことで、決して「本人自身の ために・・・ 成長を促すこと」ではない のですよね・・・私はそう感じます・・・。
そして「(親)他人(権威)の 言い付け(命令)を、素直に よくきく人間」とは、
個人差は ありますが、常に「他人の〝目〟を 気にして、他人が、どう思うか?…気にいっているか?…喜んでくれる?だろうか?」と、「〝他人の評価〟に反応する〝ロボット〟のような 存在・・・」だと 思われます。
…この「他人の 目が気になる」というのは、同じ教育を受けている 私たち全員に 大なり小なり あります。が…
…ものごころついた時には、周りじゅうが、このような「条件付け」のために、それが当たり前なのだ。と、誤解したまま、気づくことが なかなかできない!
…ことわざ辞典に、「三つ子の魂(たましい) 百まで」。
子供の頃の 性格や性分は 生涯変わることはない というたとえ。 が あります。
この諺は、印象的なので、辞典から抜粋させていただきます・・・ 同じ意味で「雀(すずめ) 百まで 踊 忘れず」(日本)
「噛む馬は 死ぬまで噛む」(日本)
「漆(うるし)は はげても 生地(きじ)は はげぬ」(日本)
(外国では)
「狼は 自分の毛を変えても その本性を忘れない」(西欧、アルメニア等)
「子供の頃に食べた 蜜の味は いまだ舌に 残る」(アフリカ・スワヒリ語)
「ゆりかごの中で 覚えたことは 一生続く」(コスタリカ)
「曲がって 生えた木は けっして真っすぐに成長することはない」(コロンビア)
…またほかに「しつけ」に関してのことわざに・・・
「三つ叱って 五つ褒め 七つ教えて 子は育つ」
(道歌)「可愛くば 五つ教えて 三つ褒めて 二つ叱りて 善き人にせよ」
・・・ 古代より、親は「子供のためを思い…」しつける。
私は、ここで「しつけが悪い」と 言っているのではない・・・。(誤解のないように…)
…しつけられ、無意識で 反応していることに、自分自身が、気づけば、すこしづつ その〝性格〟は 変わっていきます。
…それを 他人に教えられても 変わりません! 自分自身が 気づいて、はじめて 変容は可能です。
…で、何が言いたいかというと、自分はさておき、「まず他人の 喜ぶ顔を見て、幸福(満足)感を感じている」人たちは、自分を ないがしろにしていることに、気づいていない…自分の幸せは、あとまわしにしているので、いつも 他人の反応に「振り回されている」。
このようなことを 続けて、いったい自分は、いつ?幸せに なれるのか?・・・ じっくり考えてみましょう。
そうではなく、まず 自分が 喜び…幸せ(満足)な 感覚に浸されてから、その 喜びを、周りの人々に、分かち合う…。
これらを、違う表現にすると、最初のほうは「あなた OK!・・・ わたしは だめ」
後のほうが「わたし OK!・・・ あなたも OK!」で、幸せに 一歩近づくことになります。
…「まだしつけられていない…赤ん坊(あるがまま)は、幸せそのもの ですよね ?」 LOVE