「人間って、死ぬもんなんだよね……」

私が明日、死ぬとわかったら「自分にも相手にも優しくなる」
人間は、いつ死ぬかわからないんだ…みんなに優しくしよう。

…ひさびさの Hemp「左上 ねじり結び」で「夏用ペンダント」を創ってみた…

2013-04-30 11:20:35 | 日記

…ひさびさの Hemp「左上 ねじり結び」で「夏用ペンダント」を創ってみた…


「自分の 思いどおりに 仕上がったときの 喜び!…(自己満足? OK!)」笑)

…わたしの好きな数字は「3 と 7 と、五七五」なのだ。
…かなり こだわっている。
(3)=、 たとえば、スーパーなどで、買い物するとき…陳列棚に 同じ商品が ならんでいる…1番手前から「三つ目を抜き取る」or「左から 三番目の品物」 笑)

(7)=、「ラッキー-7!」

(五七五)=、「川柳の五七五…」
…昔々のある日、わたしが、俳句のつもりで「五 七 五」を友人に 披露した。
…友人いわく、「『あなたのは 俳句ではない 川柳だ 』←? !!! 」と言われ…うけ容れたーーー。


…ということで、このたび、わたしのアパートから 歩いて、(3ではなく) 4~5分のところにある「Lav East」と言う 雑貨屋さんで 見つけた…このメダル (裏の3と heart) が 気に入り、「トップに しようぜ!」と 思い立ったのです。
…このショップの店主が、お店の名前どおりの 好青年で、友人の友人ということも発覚して、買い物帰りに、休憩がてら、お邪魔して、楽しいお喋りを楽しんでます。
…ここの店内にある商品は、他の雑貨屋さんにない 素敵な商品を陳列されてますが、店内に設置しているカタログブックの中で、お気に入りを見つけたら「取り寄せて」くれる…ので、近くに来たときは ぜひチェック! (チトセピアの すぐ近く…) Tel 095 846 5680 (火曜 定休日)


…なぜ? 私が この心理学者を支持するのか?の…心理 17

2013-04-28 18:45:14 | 気づき



(…「もうどうにもならない」と呻き続けて生きたのである。
確かに「もうどうにもならなかった」に違いない。)

そして 周囲の人々は 五歳児の父親に、普通の父親のすることを要求したから、私の父親の 憂鬱と憎しみは ものすごいものであった。

そして 最後には、「女をみんな殺したい」と 呻いて死んでいった。

確かに、周囲の女を ひとり残らず殺したかったに違いない。

「殺したい」は、父親の心の奥底からの 叫びであったろう。

周囲の女は、五歳児の父親に 普通の父親の役割を 強制したばかりでなく、働かせて利用しようとしたのだから、父親は 周囲の女を 殺したかったのだろう。
しかし、もはや殺す力は なかった。


ところで 世の中の第三者から見ると、こうした人は どう映るであろうか。

子どもや孫に囲まれて、財産もあり、社会的な立場もあり、「なんて 幸せな おじいちゃんだろう」となる。


私は 誓って言うが、人の幸せは 絶対に財産や名誉ではない。

人の 幸せの原点は、情緒的に 成熟した親を 持つことである。

なぜなら、近親相姦的願望が 満たされてから 社会的な大人になれるのだから。


おわります。

…なぜ? 私が この心理学者を支持するのか?の…心理 16

2013-04-28 17:49:40 | 気づき



(…私の父親は「もう どうにもならない」と 日記に書いていたが、まさに「もう どうにもならない」のである。)

まだ 母親に見守られながら 泥んこ遊びをしているのが適切な人なのに、つまり それが幸せなのに、間違って結婚をしてしまい、さらに、間違って父親になってしまい、挙げ句の果てに 生計を維持するために職場で働かなければならなくなってしまった。

この時に、どんなに (私の)父親を愛する人が現れても、父親を 地獄から救うことはできない。
父親を どんなに愛している女性が現れても、女として 父親を愛している のなら、父親を地獄から救うことはできない。

「あなたも父親なのだから」という発想で 父親に接するからである。

そうした発想の女が 父親を愛しても、父親は 地獄のうめきを続けたであろう。

現実に、息子の私に やっていることは酷いことだったのだから。

バランスの取れた まともな社会人であれば、その女性は 父親のしていることを許せないであろう。
父親なんだから父親としての 役目を果たしてあげて下さい、ということになる。


では、父親を救うことができる女性は どういう女性であろうか。

父親を絶賛して、そのあとで「あなたの両親は 本当に酷い人だったわねー」と 父親の 愛情飢餓感に 安らぎを与え、そのうえ「酷い女に 捕まってしまって」と 母親を非難して、憎しみの感情の はけ口を作ってあげる。
そして、
その後が 大切なのである。

こんな状態で「あなたが 子どもが嫌いなのは 当たり前よ」と、父親の立場を 罪悪感なしに 捨てさせてくれる女性である。

社会人として まともな女には なかなかできない。


【 社会的には 五歳の幼児なのに、六人の子どもの父親になる 】

父親は、とにかく心理的には 五歳の幼児なのに、六人の子どもの父親に なってしまったのである。

そこで
「なんて言い訳したって あなたは現実に 父親なのだからーーーーーー」という言い方の女性は、父親を地獄に突き落としたままにする。

「なんて言い訳したってあなたは現実に父親なのだからーーー」という言い方は、社会的には 正しい言い方なのである。
事実は、とにかく父親なのだから。
社会は、父親に父親としての義務を果たすことを強制してくる。

しかし この言い方は、社会的な正義の視点からは当たり前でも、五歳児の父親の心理としては 無茶苦茶な 言い方なのである。

「誰も 俺を愛さないで 俺を五歳児のままにしておいて、今度は 俺に父親の義務を果たせ と言っても無理だ」というのが 五歳児の父親の 立場に立った言い分なのである。

社会的正義を 無視して、この五歳児の立場を理解するのが、近親相姦的願望を 満たす愛なのである。


この父親の 近親相姦的願望を満たす愛は、父親を 心理的に成長させるが、子どもにとっては許せない愛情になる。

相手が幼児の時には 近親相姦的願望を満たす愛は、まさに「母なる愛」であるが、相手が社会的に責任ある立場に立った時には、それは とんでもない独善的愛情になる。

関係者にとっては、その人は「母なる愛」を持った やさしい人ではなく、氷のように冷たく傲岸不遜な独善の人になる。

私の父親の場合には、この近親相姦的願望を満たす女性は 現れなかった。


そこで父親は、社会的には 夫であり、父親であることに 甘んじなければならなかった。
そうであれば、はけ口を失った 恨み憎しみの感情から身動きできなくなり、「もう どうにもならない」心理状態になるのは 当然である。

だから、「もうどうにもならない」と呻き続けて生きたのである。

確かに「もうどうにもならなかった」に 違いない。


(つづく)


…なぜ? 私が この心理学者を支持するのか?の…心理 15

2013-04-28 11:18:18 | 気づき



父親の側から言わせれば、「心の葛藤が あまりにも激しく、自分が ひとり生きていくのでさえできない心理状態なのに、俺は 父親になってしまった」のである。
父親にしてみれば、この状態は とんでもない状態である。

子どもなど いないほうがよい。
本音としては、子どもは捨てたいが、社会的制約から捨てられない。

「子どもを つくったのは おまえだろう」と言われるが、父親からすれば「つくろうとして つくったのではない、生まれてしまったのだ」ということになる。

しかし生まれた子どもは、「俺に 父親であることを要求する」。
父親としては、それは とんでもない無理な要求なのである。


つまり、「自分は 親から愛されないで育って、今度は 子どもから父親だ と言われたら、この俺は どうなるのだ」ということになる。

「親の 無関心の中で育った俺は、父親などになれない」。
これが 父親の本音なのである。


しかし当然のことながら、社会は 私の父親の言い分を 認めない。
どのような父親で あっても、その成長の過程を無視して、父親は父親の役割を果たすことを 社会は要求する。

社会的には 父親だけれども、心理的には 父親ではない父親にも、社会は 父親の役割を果たすことを要求する。

これは、五歳児の父親にとっては 辛いことである。

私の父親は「もう どうにもならない」と 日記に書いていたが、まさに「もうどうにもならない」のである。

(つづく)

…なぜ? 私が この心理学者を支持するのか?の…心理 14

2013-04-28 08:58:18 | 気づき



(…ネクロフィラスな人間とは、死を愛する人間のことである。)


人は、母親に 愛されなければ愛されないほど 母親固着が強くなる。
そして
その 母親固着の 巨大なエネルギーを、多くの人は 悩むエネルギーにしてしまうのである。

「あの人は 悩むのが趣味だ」と思われるほど 悩んでいる人がいる。

はたから見ると、あれだけ恵まれていて どうして悩んでいるのだ、と不思議になるが、悩んでいる人には悩むだけの 理由があるのである。

多くの場合、その原因は 母親固着である。


はたから見て 不思議に思うほど悩むのは、次のように考えれば わかるだろう。

おなかがすいて おにぎりを食べたがっている少年が、立派な服を着て馬車に乗っている。

おなかがすいて おにぎりを食べたがっている少女が、ダイアモンドのキラキラした指輪をしている。

おなかの中は 見えないが、ダイアモンドは見える。
あんな すごいダイアモンドを 身につけてとか、あんな 立派な服を着て馬車に乗ってとか、人は言うが、肝心な食欲が 満たされていない。

見ている人の ほうが、食欲は 満たされている。



【「俺の責任ではない」が 私の父親の本音 】

たとえば、私の父親などは、息子の私からすれば 許しがたい存在である。

絶対に許せない存在である。

しかし 父親の立場に立てば、様相は まったく違ってくる。


父親の立場からすれば、生まれながら、父親からも母親からも愛されず、自分は 愛情欲求が激しい人間として、若い頃から 欲求不満の塊(カタマリ) となった。

しかしそれは「俺の責任ではない、そのような親のもとに生まれてしまったのだ」ということになる。


そして さらに追い討ちをかけるように、不幸な結婚が続いた。
愛に 無関心な女と 結婚してしまった。

「それは おまえの責任だろう と言われるが、もし自分が 少しでも 親から愛されていたら、あれほど淋しくはなくて、あんな女に 引っ掛からなかった」と言える。
そして こともあろうに、六人も子どもが 生まれてしまった。


(つづく)