今日は朝から子供のための集まりに行こうかなーと
思っていたけど 10時開始のその時刻に間に合いそうに
なくなって そうだやっぱりハルハウスに行く日にしよう!と
お弁当持って出かけていった。
ハルハウスというところは前から話をきいて
気になっていた 京都の北にある「まちの縁側」というもので
誰かの家の一階を 誰でもこれるスペースにして
カフェのようにお茶が出たりして 障がいを持った人とか
お年寄りとか 不登校の子供とか 病気がちな人だとかが
そこに集って 通う間にお互いに癒されていく
そんな場所なんだそうな
それについて書かれていた本を読んでから
行きたい行きたい!と思ってて ようやく今日は
遠路はるばる 赤ちゃん連れて行ってきた。
もうその道中といったら大変で そういえば京都のバスは
いつも混んでて しかも優先席が少ない上に
お年寄りだらけなわけで しかもなんだか
いわゆる市内のお年寄りは 洛西のおばーちゃんたちとは
雰囲気も違い 怖そうな顔をして誰も話しかけてこない。
そういえば京都って こんなところだったよなー
三条に住んでた頃は そんなに出会いもなかったもんな
市内ってやっぱり子育てしにくそうだなー、、、
それでもなんとかバスと電車を乗りついで
昨日教えて貰った場所の記憶だけをたよりにハルハウスへと
むかっていった。あ!これだ こんにちはーと何度かいっても
返事はなくて 途方にくれていたところ 外から
おばちゃんがやってきて どうやらこの人が主人らしい。
そうしてそのおばちゃんは なんだか色々話し始めて
私の話はほとんど聞く気はなさそうだけど
れんちゃんにはよくしてくれて エレクトーンを出してくれたり
絵本を出したり お茶をくれたり なんだかわんさか
色々でてきた。それでおばちゃんとれんちゃんは
どんどん仲がよくなって 「待っててな!今スープつくってあげるから!」と
どうやらごはんもでてくるらしい。はて お弁当 どうしよう
どうしようかと思っていたら れんちゃんのご飯も
私のご飯も一緒に容易してくれていて 最近おかゆを
なかなか食べないれんちゃんに そのおばさんは
じゃがいもやらお豆やらを手づかみであげてゆく。
するとれんちゃん 喜んで イチゴを6個くらい食べ
ジャガイモも にんじんも お豆も ご飯も
みーんなみんな 手で食べた。時たま私がスプーンで
スープを口に持ってくと断固拒否。 とにかく自分で食べたいらしい。
こりゃこまったなー でももうおかゆじゃなくていいとのことなので
これからはおにぎりにでもしようかな。
このおばさんは名古屋の方で「まちの縁側」をはじめた
凄腕の丹波さんというおばさんで 色んな話をしてくれた。
「三才までは自分で育てないとだめよ!」とか
「今の社会はリハビリ以前にハビリテーションがなってない」とか
ちゃんと自分で子供を育てて 子供の才能に気づいてあげることだとか
それからご飯を食べたあとには船岡山に一緒にのぼって
よもぎとりをすることに。そしてよもぎご飯の作り方も教えて貰う。
そのころにはれんちゃんは すっかりおばさんに
なついて喜び 笑顔できゃっきゃっと言っていた。
そうしてあっという間に時が過ぎ 2時間半くらい経ってたらしく
そろそろおいとましますといって カンパをおいてそこを出る。
こうやって 子供が遊べて 誰かにも出会えるような
そんな場所ってなかなかなくて 近くにあったら本当にいいのに
私の研究しているcafeを日本語に翻訳したら「まちの縁側」だって思ってたけど
本当にそんな気がする。もっともっと世代をこえて
枠をこえて いろんな人が助け合う そんなきっかけの場としての
カフェであり縁側が もっと必要だと思う。
気づけばたくさんもてなされてて 知り合いでもなんでもないのに
沢山の時を過ごして なんだか不思議な空間だ。
それからまた千本通りを南へ下って どれほど遠いか
よくわからない お結び庵へとむかってく。
ここの人達も場作りについて研究、実践している人達で
お結び庵は西陣にある大きな町家。さて どこにあったかな、、、
ひたすら歩いてあやふやすぎる記憶を頼りに
目印となる赤いポストを必死で探し もう駄目か!と
思っていたら私の鼻がきいたらしく 知ったような場所にたどりつく。
そして久しぶりのみんなに会って しばし場について
語り合う。もっといい場がほしいなー
お結び庵の人達は最近は場づくり=イベントづくりを
お休みしているのだそうだ。日本では場=イベントになりがちだけど
それをつくるのは本当に大変!しかも創った側がどれだけ
えるものがあるかというと そこがとても難かしい。
持続可能で もっといい場で たくさんの人が笑顔になれる
cafeであったり まちの縁側みたいな場 が 日本にもっと増えて欲しい