もうすぐれんちゃんが生まれて1年!
1歳のお誕生日は念願の(?)旦那の実家で
お祝い予定で うちの実家では何もしない気でいたけれど
京都に帰る予定だった日曜日 父が真鯛を釣ってきた。
釣れるわけない そう思われていたらしいけど
見たこともないくらい大きな鯛がなんと4匹釣れていて
なんだかんだで 居残ることに決めたから
それならせっかくだからと お赤飯を炊くことにして
れんちゃんの1歳前祝いが開催されることになる。
もう離乳食をそれなりに食べる(といってもムラがあるけど)
れんちゃんは お母さんがつくってくれた鯛のあんかけと
お赤飯を これでもか!というくらいにもりもり食べて
最後には 普段は禁止されてる おいしいケーキを
誕生日の特別に と 食べさせてもらってた。
やっぱりケーキは美味しいらしく 幸せそうに食べていた。
一年前を振りかえる と 彼はまだまだお腹の中で
私が本の原稿を提出したのが6月4日で その日は
ひたすら 家の中でプリントしてて ようやく
夕方すべてが終わって 三条の郵便局にぐるぐる巻の
原稿達を出しにいき あー 終わった!!!
本当に すべてがやっと終わったんだ!!
どうしよう 今までは もうこれしかしていなかったから
私は一体どうしようかと 歩を進める先もわからなかった。
けれども近くに新風館があったから
そうだ ちょっと行ってみようかと 足をのばしたら
何やら素敵な音楽が え?生演奏?
上から聞こえたその音楽に つられるように3階に行き
高そうな素敵なオープンテラスがあって
びくびくしながら惹かれてそこに入っていった。
本当に素敵な夜で 日が落ちかけてて
外国人の3人組が 簡単な曲を演奏してて
客はまばらで 涼しい風が吹いていて
あー 終わった 終わったんだ
赤ちゃん ありがとう 乾杯しよう
よくがんばったね 本当にありがとう と
お酒の飲めない私は 精一杯にジンジャエールを注文し
気持ちよい風に吹かれて お腹の赤ん坊と乾杯していた
思えば大変な日々だった。
3月の末に執筆をはじめ
それから毎日毎日ほぼ休みなく
三条のスタバに通って原稿を書いた
このマックを持ち込んで 真っ白な
ワードの用紙に 何を書いていけばいいのか
全然わからなかったけど とにかくそれを続けていった
校正は本当にしんどくて 朝から晩まで
お弁当もってカフェをはしごしてやっていた。
辛かったけど やることもあり
それが全部終わった今や
私は何をすればいいのか ちょっと途方に暮れていた。
だからなのかな フランス語とかやってはみたけど
赤ちゃんはもういいかと思って 22日に生まれて来ちゃった
3週間も早かったけど 元気で頑固な赤ん坊
それが高森 蓮太郎君。 一日目は 名前がなかった
今やこんなに大きくなって! いつも笑って
ときに激しく泣いて いつも私にすり寄ってくる
れんちゃんが生まれ 大変なことも多かったけど
特に初めの一ヶ月は思い出しても地獄のような気がするけれど
(京都は毎日真夏日で蒸し風呂状態になっていた)
振り返って考えると 笑ったことの方が多かった
かつては笑顔?口角をあげて 鏡の前でにっこりとして
でも普段の口はへの字だな、、、と思っていたような私でも
今では笑顔が板につくようになってしまった
それほどまでに れんちゃんは みんなを
笑顔に変えてくれた。実家でも 両親の関係性を変えてくれ
だんだんと みんながつられて笑顔になって
そこから話題が生まれていって 気がつけば
みんなで話をちゃんとしている
仲の良さそうなお家になった。
結婚をしたころは お互いの家について悩んでいたけど
子供がうまれてみたことで 関係性がかわっていった
子は本当にかすがいだ。
赤ちゃんは 沢山の人を笑顔に変えて
気がつけば 関係性を変えてくれて
いろんな出会いを与えてくれる
れんちゃんがいてくれるから「しあわせー」って思えることが
毎日毎日あるようで まだ1年は経ってないけど
前祝いではあるけれど おめでとう そしてありがとう!
大変だけども ママは幸せになりました。