その他にも、わたしが、轆轤びきした皿に、陶芸用クレパスで絵を描いてもらった作品もできた。悪くない出来映えだった。
職員も、結構出入りがあり、あまり安定してはいなかった。このことも、この事業にとっては良いことではなかった。職員が、パート職員まで、事業理念を共有していることは、重要なことだからだ。
しかし、実状は、関係者の会議さえ開かれていない、先の見えない状況のままだった。
私としては、ここまでやって来たやり方には限界を感じるようになっていた。
まず、陶芸課に属する自閉症者の方々の症状は、あまりにも様々であり、とても、纏めて作品づくりの面倒をみられる状態ではなかった。
ほぼ、普通に意思疎通できて、私がこうして下さいと言えば、ほぼそのとうり動いてくれる人もいれば、ほぼ、意志疎通出来ない、言葉さえあまり理解できないと感じてしまうような人もいる。職員が、何とか作品造りに手を貸して、造らせようとしても、その手を振り切って、いうことを聞いてくれない事もある。途中で、寝てしまうひとまでいる。
ここまで、様々な状態の人たちに、一度に纏めて関わっても、ちゃんとした関わりなどは不可能な状態だった。
かくなるうえは、個別に関わって、更にその個性を引き出したアート作品を造ってもらえるようにならなければ、更に先に行けないと思って、職員や、所長にも、話をした。
とはいっても、話をしただけだ。
強力な要請はしなかった。
なので、現実には、そうはならなかった。
それは何故か。
それは、既にその時に、私のなかで、この障害者アートというものに、ある根本的な疑念がわきあがり、拭う事が出来なくなってきていたからである。
(続く)