自然を求めて近辺ぶらり

四季折々の風景、草花、野鳥などの写真を紹介しています。

関西花の寺霊場 白毫寺 (びゃくごうじ)

2024年10月24日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
奈良奥山ドライブウェイを走り終えてから、最後の目的地である高円山(たかまどやま)の西麓にある高円山(こうえんざん)白毫寺に向かいます。関西花の寺二十五ヵ所霊場第18番 白毫寺は、五色椿や萩の花などが美しいお寺さんのようですが、秋に咲く紅や白の萩も見頃を終えていて、見るべき花がなかったのが残念でした。民家の庭先の小さな有料駐車場に車を駐めて、100メートルほど続く石段を上った先にある白毫寺の境内からは奈良盆地が一望できます。白毫とは仏の眉間にあり光明を放つという白く細い渦巻状の毛のことだということです。
白毫寺の参道両側は萩です。


山門あたりから振り返ってみたところです。


受付門あたりからの撮影です。
下に見えるのは山門、奈良の市街地が一望です。









正面に見えるのは生駒山です。


本堂


境内


天然記念物 五色椿










駐車場に五色椿の写真がありました。
許可を受けて撮影しました。



駐車場では銀木犀が
良い香りを漂わせていました。



関西花の寺二十五ヵ所
自分で訪れたことのあるお寺さんは、今回の白毫寺を加えると赤い枠で囲った永澤寺・法金剛院・興聖寺・岩船寺・浄瑠璃寺・長岳寺・石光寺・當麻寺西南院・船宿寺の10ヵ寺になりました。


パンフレットの写真








世界遺産 春日山原始林のまっただ中を行く

2024年10月23日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
鎌研交番所から奈良奥山ドライブウェイ「奈良奥山コース」に入ります。ここから「高円山コース」までは未舗装の道路となり一方通行となりす。途中、鶯の滝や石仏などの見どころがありましたが、立ち寄ることなく、ただ通り過ぎるだけとなりました。ほとんどの人が若草山で引き返されるようで、奥山コースを走る人は少ないようです。






原生林の中を走行中に
ハイキングを楽しむ十人以上の人とすれ違います。
中には女性の独り歩きもいます。
多分、若草山を目指しているのだろうとは
思うのですが、どこから歩き始めたのか
気にかかるところではあります。


帰ってから調べてみると奈良公園山林部ハイキング案内で
若草山・春日山遊歩道・滝坂の道と三つのハイキングコースがあるようです。



奈良奥山コースを走っているときに
ナビの画面にルーミスシジミ生息地と出ました。
どんな蝶なんだろう。一度見てみたいものです。













芳山交番所から高円山コースに入ります。
ここからは舗装道路となり、両面通行になります。






奈良奥山ドライブコースを
全線走り終えました。
信貴生駒スカイラインは
来た道を戻ることになるので
行きませんでした。



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奈良奥山ドライブウェイで若草山山頂へ

2024年10月22日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
唐招提寺を後にして奈良観光の中心地奈良公園を抜け、正倉院の前を通って奈良奥山ドライブウェイに入ります。奈良公園周辺は車も観光客も多くて、通り抜けるのにかなりの時間を要しました。ドライブウェイは「新若草山コース」、「奈良奥山コース」、「高円山コース」と続きます。「新若草山コース」と「高円山コース」は両面通行ですが、世界遺産春日山原始林の中を走る「奈良奥山コース」は未舗装路で、若草山方面からの一方通行となっています。「新若草山コース」で、折り返すこともできるのですが、三つのコースを走り抜けることにします。








若草山コースからの大仏殿ビューポイント



若草山駐車場


駐車場から山頂までは約200mです。




階段を登ります。


視界が一気に開けます。
若草山三重目頂上に到着です。





正面の山は生駒山です。
平城京、興福寺五重塔、奈良公園、東大寺、
唐招提寺など奈良の市街地のほかに
葛城山、二上山、明神山、信貴山なども一望です。



鹿がのんびりと休んでいます。
観光客におねだりする鹿もいました。







この鹿は痩せているように見えますが・・・。

































この後、世界遺産春日山原始林の真っ只中を行く奈良奥山コースに入ります。
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天平の甍 唐招提寺

2024年10月21日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
唐招提寺は、薬師寺から徒歩だと0.6kmほど離れたところに位置します。以前来たときには徒歩で両寺を往復したのですが、年齢を重ねた今はそんな元気はありません。車で向かいます。
唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。井上靖の長編歴史小説「天平の甍」で天平年間、唐の高僧 鑒真和上が二十年の歳月をかけて渡日に成功するまでの留学層の苦難の道が紹介されています。


金堂
金堂は、8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物です。
堂内は撮影禁止ですので、写真でのご紹介はできませんが
中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像
左に千手観音立像(いずれも国宝)が並んでおられます。









講堂
平城宮の東朝集殿を移築・改造したもので、
外観は平屋の入母屋造で、現在の姿は鎌倉時代の
改造によるところが大きいといわれます。
天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物です。
内部は、本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、
持国天、増長天立像(重文、奈良時代)の他、多くの
仏像が安置されています。



皷楼
名称は「鼓楼」ですが、現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、
「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています。



鐘楼


薬草園




戒壇
僧となるための授戒が行われる場所











開山堂
鑑真大和上の「御身代わり像」が参拝できます。
毎年6月6日の開山忌舎利会の際、
前後3日間だけ御影堂内が公開され
鑑真和上像を参拝できます



御廟へ向かう道


鑑真和上御廟(鑑真和上の墓所)


苔がとっても綺麗です。



















「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まった当初は、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。
唐招提寺は、奈良県奈良市五条町にある律宗の総本山の寺院。山号はなし。本尊は盧舎那仏。開基は唐出身の僧鑑真である。鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。 (ウィキペディア)

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薬師寺の塔の上なる・・・

2024年10月20日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
薬師寺金堂に入ると "朝のお勤め" が始まる直前でした。参拝客の皆さんとともにご一緒させてもらいます。お勤めの後に僧侶から、奈良の秋の素晴らしさや、鴟尾 (しび) と水煙 (すいえん) 等についてのご説明と、佐佐木信綱と会津八一の短歌のご紹介、二つの歌碑が並び立つ場所等のご紹介がありました。気温は高かったものの、上空は一ひらの雲もない秋の澄み切った空が広がっていました。
薬師寺南大門と西塔(左)と東塔(右)


金堂




鴟尾 (しび)
原型は伝説上の生き物である鳳凰(ほうおう)の
翼をかたどったものですが、魚の尾のようにも見え、
魚が水面から飛び上がり尾を水面上に出した姿を
具象化したもので、屋根の上面が水面を表し、
水面下にあるもの(建物)は燃えないことから
火除けとして用いられたと考えられている。



東塔
創建から1300年建ち続ける奇跡の塔
    ゆく秋の 大和の国の薬師寺の 塔の上なる 一ひらの雲 (佐佐木信綱)


薬師寺東塔の水煙
水煙は東塔の最上部を飾る「相輪(そうりん)」の一部で、
雷や火災から塔を守るという祈りを込めた装飾物。
衣をなびかせて舞う飛天の透かし彫りが施されています。
平成21年から12年をかけて初の全面解体大修理が
行われたのを機に1300年の年月を経た水煙は役目を終え、
平成の水煙に取り換えられています。

    水煙の 天つ乙女が 衣手の ひまにも澄める 秋の空かな (会津八一)
(佐佐木信綱と会津八一の歌碑は西塔の傍に並び建っています)



    


西塔
薬師寺西塔は、享禄元年(1528)に創建以来の建物は消失したため、
「宮大工は千年先を見据えた仕事をしなければならない」と、
千年耐える建造物の構築を使命とした宮大工西岡常一棟梁の
指導により、約3年の工期と10億円の工費をかけて
昭和56年(1981)に再建されたものです。




大講堂






東僧坊

薬師如来本尊台座 (模型)






不動堂


金堂と大講堂



東塔と西塔




生駒山を横断する阪奈トンネルを抜けて奈良へ

2024年10月19日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
ホテルを8時にチェックアウトして奈良へ向かいます。阪神高速14号線阿倍野IC→環状1号線→阪神高速13号東大阪線→第二阪奈道の経路で、今日最初の訪問予定地である奈良・薬師寺に向かいます。休日とあって商用車が少なく、経路上の道路の混雑は全くありませんでした。
阿倍野ICから阪神高速に入ります。
阿倍野IC入口の下に「上方演芸発祥の地 てんのじ村記念碑」という石碑が見えました。




本町JCTから阪神高速13号線方面に進みます。


左手に大阪城が見えます。
左の建物は大阪歴史博物館です。



東大阪JCTで奈良方面へ
前方に見える山は生駒山です。


生駒山を横断する阪奈トンネルに入ります。
延長5,578 m(大阪側3,461 m ・奈良側2,117 m)の
長いトンネルを抜けると奈良市です。



第二阪奈道を出て
大和郡山・薬師寺・唐招提寺方面に向かいます。
大阪から1時間もかからずに薬師寺の駐車場に到着です。



薬師寺駐車場から薬師寺に向かう参道には萩の花が咲き誇っています。道筋に薬師寺を守護する休ヶ岡八幡宮と孫太郎稲荷神社があります。ここに参拝してから薬師寺に向かいます。休ケ岡八幡宮は寛平年間(889~898)に栄紹別当により大分県宇佐八幡宮から現在地に勧請されました。休ヶ岡という地名は、貞観年間に大安寺の行教和尚によって八幡大神が大安寺の元石清水八幡宮に勧請された際、 八幡大神が休息された地であることに由来します。『今昔物語集』に鎮守八幡大神が、金堂を火災から守ったという説話があります。


参道のすぐ横を近鉄電車が走っています。


田んぼもあります。


休ヶ岡八幡宮









境内のハナミズキ


孫太郎稲荷神社
休ヶ丘八幡宮の末社で、藤原頼行が平安中期に創建しました。神社の名前は藤原頼行の末裔の佐野孫太郎義綱が由来のようです。 主祭神:宇迦之御魂神







孫太郎稲荷神社を後にして薬師寺方面に進みます。




薬師寺南大門に着きました。


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大阪夜景

2024年10月18日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
ホテルにチェックインした後に、すぐ近くの「あべのハルカス」に向かいます。ここを訪れるのは今回が3回目になります。夜景を見ようという大勢の人で賑わっています。チケット購入とエレベーター待ちで予想以上の時間を要し、夕日が沈む時間には間に合わなかったものの、夕焼けは目にすることができました。早いもので「あべのハルカス」は、2024 年3月7日に開業 10 周年を迎えました。
夕暮れ時の天王寺駅周辺


歩道橋でハルカス300


16階〜60階へ
16階でチケット購入後に60階の
ハルカス300(展望台)まで上がります。




ハルカス300(展望台)からは
大阪の街が360°見渡せます。










西方向


天保山大観覧車(中央赤色)


大阪湾、大阪ベイタワー


通天閣




天王寺公園


南方向






東方向




北方向



カフェ ダイニングバー










ハルカスショップ



エレベーターで16階へ降りて
この階にある展望庭園に入ります。
(ここへは無料で入れます)

展望庭園












ハルカスを出た後に撮影


路面電車の阪堺電車乗り場


あべのハルカス


ホテルの窓から見た夜景






戦国武将 真田幸村陣歿の地

2024年10月17日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
大阪市天王寺区逢阪にある安居神社は少彦名神(すくなひこなのかみ)菅原道真を祀る古社です。元和元年大坂夏の陣で、戦国武将真田幸村が無念の死を遂げた真田幸村は、この社の一本松の下で戦死したと伝わります。松屋町筋から境内に入り、通称奈良街道と呼ばれる国道25号線へ通り抜けました。
安居神社
松屋町通りから入ります。




















国道25号線(奈良街道)に抜けます。


天王寺公園・大阪市立美術館近くで


大阪市立美術館
昨年訪れた時は建物の周りが覆われていましたが、
それが取り払われて、美術館の全貌が見えるようになっていました。
まだ、改修は終わっておらず開館は来年春の予定です。
2022年9月26日(月)~2025年春(予定)まで長期休館





美術館あたりから見た
通天閣


あべのハルカス


「てんしば」と「あべのハルカス」


池上市長像
天王寺動物園を設立した第6代大阪市長で、
秋篠宮文仁親王妃紀子様の曽祖父でもある人物。
動物園に隣接する「てんしば」内に建っています。





今日の宿はJR西日本ヴィアインホテルズ
「HOTEL VIAINNあべの天王寺」です。
6階までがドン・キホーテで、7階から上が
ホテルです。宿泊客はホテル南側のルシアスビル
駐車場が24時間2,000円で利用できます。


ホテルの部屋から見た大阪の街です。
「てんしば」と天王寺公園


夕闇迫る頃の天王寺周辺と通天閣


JR天王寺駅と近鉄阿部野橋駅は隣り合っているのですが、「天王寺」と「阿倍野」の違いは、大雑把にいうと、あびこ筋の北側を「天王寺」。 南側を「阿倍野」と称するようです。
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流木アートと舞鶴湾と引き上げ記念館等

2024年08月31日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
五老岳スカイタワーの展望室を降りたところには展示スペースがあります。舞鶴湾に流れ着いた外国のビンや流木などの漂着物に手を加えたり、そのままの状態で展示・販売されています。舞鶴市で今回訪れたのは「五老ヶ岳スカイタワー」だけですが、過去に訪れたことのある「舞鶴赤れんが倉庫群」、「海軍ゆかりの港めぐり」、「舞鶴引き上げ記念館」の一部の様子も併せて掲載いたします。














海上から見た舞鶴湾(以下の写真は2021年11月撮影)
海軍ゆかりの港めぐりのコースです。このコースを30分で回ります。


「海軍ゆかりの港めぐり」で船上から見た自衛艦
中央右手の山の上に立つのが「五老スカイタワー」です。



護衛艦「ひゅうが」全長197m 速力30kt (1.852×27=約55km/h)


ミサイル艇です。


船上から見た舞鶴クレインブリッジ (全長735m)です。


舞鶴赤れんが倉庫群
一部は店舗などとして使われているものの、ほとんどの倉庫は扉が閉まったままでした。




舞鶴引き上げ記念館
雪のシベリア収容所




ラーゲリーとはロシア語で収容所を意味する。ラーゲリーの中で配給されたわずかな黒パンを、中央右の男性が手にしている手作りの天秤で量りながら切り分けて、全員に均等に配分している。少ない食料をめぐって、仲間同士での争いごとを避けるための知恵であった。
抑留生活体験館






引揚桟橋



異国の丘と岸壁の母の歌碑



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近畿百景第一位・「五老ヶ岳からの舞鶴湾」

2024年08月30日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
五老ヶ岳公園 (舞鶴市) は、海抜300mの五老ヶ岳山頂に広がる自然公園です。ここからの眺望「五老ヶ岳からの舞鶴湾」が、1985年に実施された、公募による近畿百景第一位に選定されています。五老スカイタワーの展望デッキからは舞鶴湾の美しいリアス式海岸と舞鶴市街地を一望できます。周囲を400m級の山々に囲まれた舞鶴湾は、湾口が約700mと狭く風や波の影響を受けにくい良港であることが、五老ヶ岳スカイタワーから見るとよくわかります。 (タワーの高さ : 地上50m 展望室の高さ : 地上28.2m)














西港方向




舞鶴国際ふ頭 (愛称: みずなぎふ頭)






湾内のキラメキ






西市街地方向


東市街地方向






舞鶴湾




海上自衛隊の船


東市街地方面


五老スカイタワーから見た駐車場




高台から眺めた伊根湾と舟屋に浸水害が起こらない理由

2024年08月29日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
船での伊根湾めぐりを終えて、船から眺めた「道の駅 舟屋の里伊根」まで車で行ってみることにします。一番近い駐車場は満車で、少し離れた駐車場も満車だったのですが、運良く出ていく車があったので何とか駐めることができました。この道の駅は伊根湾と舟屋の里を一望できる高台に建っていてここからの眺めは絶景です。伊根湾は湾の入口にある青島が防波堤の役割を果たしているので風の影響を受けにくく、しかも日本海にありながら湾が南を向いているので海がとても穏やかです。
































海辺からここまで上がってくる人もいます。これはかなりきつそうです。
ひょっとしたら、ここに駐車して下まで往復した人たちなのかもしません。



海に浮かぶ「伊根の舟屋」が浸水害を受けない理由
調べてみると、気象予報士 福岡良子さんの、次のような記事があったので引用させてもらいます。
「まるで日本のヴェネツィア 海に浮かぶ「伊根の舟屋」(2016年07月21日)
なぜ舟屋は浸水害が起こらないのか?
①内海
丹後半島に守られた内海で穏やか。
②「青島」の存在
南には青島が。これが天然の防波堤となり、大波を防いでくれます。
③伊根湾を取り囲む急傾斜の山々
伊根湾を囲む急傾斜の山がそのまま湾内に深く落ち込んでいるため、海が急に深くなっていて、波を起こしにくい地形を形成しています。
④干満差がきわめて小さい(年間50センチ程度)
入り口が狭く浅いため、海水が盛り上がろうとしても、海水が集積しにくくなっています。
こうした数々の偶然が重なり、まるで海に浮かんでいるような家が存在できていたのです。
            ・・・答えは地形にありました。

高台から見ると、天然の防波堤の様子がよくわかりますね。
正面の島が青島です。



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海猫の飛び交う風景

2024年08月28日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
小型船での伊根湾めぐりが終盤に近づくと、船長さんが乗船客に海猫の餌を渡されます。海猫もそれをよく知っていて、どこからともなく船の周りに集まり、乗船客が投げた餌を空中で器用にキャッチしていきます。ところによっては海猫への餌やりを禁止しているところもあるようですが、ここは大型船からも餌やりが行われていました。海猫にとっては天国のようなところなのかもしれません。羽色が茶色っぽいのは子供です。ところによっては、カモメとウメネコを総称してゴメと呼んでいるところもあるようです。










































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海上から見た伊根の舟屋群

2024年08月27日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
伊根町を訪れるのは、丹後半島一周の折に訪れて以来ですから実に25年ぶりになります。その時は船に乗らなかったので、今回は船で伊根湾をめぐることにします。海上から舟屋群を見るには、大型船か小型船のどちらかを利用することになります。大型船の発着場所は、ここから1kmほど離れているとのことだったので小型船で遊覧することにします。最大搭載人員14人の小型船で海上から舟屋群を眺めながらの伊根湾遊覧の始まりです。要所要所で船長さんの説明が入ります。


小型船は随時運行されます。
この船に乗ったのは最大搭載人員の
半分にも満たない人数でした。



伊根湾遊覧の始まりです。




昔の船は木造船が多く、
漁を終えた船を舟屋に保管する必要があったが
強化プラスチック材に変わった今は、
舟屋を必要としなくなってきているとのことでした。





大型船には大勢の人が乗っています。
小型船を選んで正解だつたのかもしれません。





こちらの建物は造り酒屋です。










舟屋を改造したカフェが見えます。


これで、よく波を被らないものだと心配になりますが、
湾内はほとんど波風が立たない上に、太平洋側に比べると
干満の差が小さいこともあって、波打ち際ぎりぎりに
家を建てることが可能だそうです。







上に見える建物は「道の駅 舟屋の里伊根」です。
船長さんから、道の駅にはもう行ったかと訊かれ
乗船客全員がまだですと答えると、
それでは良く見えるところまで行こうと
船を回してくれました。



















約30分間の小型遊覧船での伊根湾めぐりが終わりました。
船長さんが乗客の要望に応えて記念写真の撮影を手伝っておられます。
乗った時も家族ごとに写真を撮ってくれるサービスぶりでした。



海の京都・伊根湾と舟屋群

2024年08月26日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
傘松公園を後にして、丹後半島の海沿いの道を走ること20km弱で次の目的地である、舟屋の町並の残る伊根町伊根浦に到着です。伊根湾沿いに約230軒の舟屋が立ち並んでいて、国の重要伝統的建物群保存地区にも選定されています。


伊根町に到着すると
臨時駐車場 (小学校の校庭) に誘導されました。





駐車場から、ほんの少し歩くと伊根湾と舟屋群が見える場所に出ます。


















舟屋とは、1階が舟小屋、2階が二次的な居室として使用される建物です。
母家は道路を挟んだ向かい側にあるそうです。



お昼時になりました。一旦海沿いから離れて
食事を摂るために移動します。

民家の軒先




WATER IN 与謝荘 (宿泊施設)


伊根浦公園前の「伊根町観光協会」です。
観光案内所やお土産の販売、食事処などがあります。
ここで食事を摂ります。



観光協会2階にある「舟屋食堂」では
舟屋群を眺めながら食事ができます。



煮魚定食


サザエ定食


食事を済ませてから、小型船で海上から舟屋群を眺めることにします。


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京都府宮津市の傘松公園から天橋立を一望に

2024年08月25日 | 関西の旅・社寺・庭園・城
京都縦貫道・亀岡ICから与謝天橋立ICまで高速道路を利用して、京都府北部の代表的な観光地・天橋立のある京都府宮津市にやってきました。傘松公園は成相山中腹にある公園で、天橋立を北側から一望できる展望所です。大勢の人で賑わっています。展望所へ上るにはケーブルカーとリフトがあり、どちらを利用しても料金は同じです。展望所からの眺めは、天橋立が昇り龍のように見えることから「昇龍観」と呼ばれています。天橋立を股の間からのぞくと天地が逆転したように見える「股のぞき」発祥の地としても有名です。 




駐車場からケーブルカー乗り場に向かいます。






ケーブルカーは15分おきに運行されています。
リフトは随時乗ることができます。





ケーブルカーで上ります。








展望所から見た天橋立




股のぞき台


撮った写真を逆さまにしました。傾いていますが、
股越しに見るとこんな感じに見えるはずです。





「駅ピアノ」ならぬ「パークピアノ」です。
















かさぼう
天橋立の創造とともに生まれてきた妖精。天に架かっていた橋が倒れて天橋立ができて時、その一部が落ちる途中で妖精となり、人里離れた山の上 (現在の傘松) へ舞い降りた。以来、ずっと笠松に住み、天橋立を見守っている。・・・と、書かれています。


神が宿る島・冠島、沓島遥拝所



傘松公園を後にして、次なる目的地に向かいます。


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