アルケミスト

今この一瞬を大切に。明日のことはまた明日の今に考えよう。

なんにも

2019-02-09 07:40:04 | 日記
なーんにもしたくない。

いつでも寝れるし
いつでも休める

私がやりたくないって言ってるんだから
やらなきゃいい。


しなくても
誰も困らないでしょ。


意味のある時間を過ごすこと
部屋はきれいで
栄養のあるものを食べて
充実した、と思われる毎日を過ごすこと

その価値観は
ぽいします。


大事なのは
私が満たされるかどうか。


会いたい人に会い
好きなものを食べ
私が私らしく。

以前のように
思いもしない形で
私の求めるものが
そばにあるはず。



ねえ

2019-02-05 23:43:08 | 日記
あそびながらね
やりたいことはなんなのって聞いた。

わたしはね
カフェやって
本の紹介やって
防音室のレンタルやって
そんで子ども預かるとこつくって

かわいい空間つくって
ランチもやるけど
主に部屋貸しをいろんなとこにして。

あでも
大好きな先生のとこで
研究したいのもあるかも。
その人の話を聞くと
めちゃくちゃ難しいこと言ってるのに
子どもの見方が面白すぎて
一人にやけてしまう。
あの人の元について
研究職をしてみたいとは思う。

できるなら
本当に好きな人の元に
滑り込んで毎日わくわくしたいかな。

あとはまだいろいろあってベラベラ話してたら

自分はカフェバーに変えて
あと旅館もして
ってまたこれもかなり色々あって。

やっぱり
意味もなくやりたいことにわくわくしてる人は美しいなと思う。


あんな人を愛したいし
愛されていたいなあと思う。

どきどき

2019-02-05 22:06:56 | 日記
わたしがどきどきすること

わたしがうきうきすること


それが

わたしの一方的なものであっても

それでもいい。


きっとそれでも

わたしがいないところで

同じ志の人がわたしを思い出していたように


いつかどこかで

つながるはずなんだから。






ちっとも想定していない出会いが


未来のわたしを変えてくれる。



そう信じて


いま

わくわくすることを


全力でたのしもう

帰れない

2019-02-03 06:15:23 | 日記
土曜の夜に
終電逃すのは初めてで
ヤバイと思った時には
最終まであと五分


優しい人がホテルを探して予約してくれて
ひとまずそちらへ。



そこでいろいろ考えました。


私が求めていることって何かなと。



バーテンが暇人で付き合ってくれて
遊びながら本当に色々話したんだけど

どれもただただポジティブな夢で
そして私の知らない経験で
ずいぶん年下だったんだけど
楽しい人に囲まれながら
お金がなくても楽しい道を
自分の覚悟で切り拓いてるなって感じ。


いいな、楽しく生きてる。
そしてそうやって楽しめている人はものすごく魅力的。楽しめる人はどこでも何かしら楽しもうとできるのは確かだけど、じゃあ私の仕事を誰でもそうできるかと言われたらどうかなと思う。この仕事に少しでも楽しさがあるなら、それは奇跡的だなあと思う。じゃあ何がダメなのか、その気持ちがわく瞬間に敏感になって、それを少しでも感じない場づくりを、私ができるのかどうか、そこを見極めたい。



あと


私は今日は彼と行ったんだけども
やっぱりね、会話なんだと思った。
会話が自虐、批判、否定よりも
新しいことを楽しんだり
知らないことを伝えあったり
なんでもないけど笑えてしまったり。

話題がなくても
飲み物一つで
遊び一つで
食べ物一つで
やりとりが続いていく
会話のフィーリングが

私には大事。


なんにもいらない。
あなたがいれば。
それだけで楽しいよ。
たくさん話そう。
たくさんそばにいよう。



これまで
大好きになった人にいつも感じてた。

その感覚を
目の前で比較対象を作ってくれて
その差を見せつけられたね。
ただゲームして遊んだだけだけどさ


異性と話してて楽しい、と思う感覚を忘れてたなあとはっきり思い出しました。それは基本的に向こうも同じだから。魅力ある人に人は惹かれる。単純なことです。


あれ。
私何してんだろって思ったよ。


この感覚があればね
その人がどんな人でも
受け入れられちゃうんだよね。

騙されるんじゃないとか言われてたけど
これを知るとね、そんなわけないよと確信にも近いものを感じます。


直感で感じるものを
心から大切に生きていたことを
本当に忘れていたと思う。


もうすこし自分の感覚を信じたらと
教えてもらったような気がします。

バーテンに笑笑


私は
感覚を研ぎ澄ませて
感じるものに従って生きた方が
ずっと楽に前に進める。


私は多分昔っから色んなものが見えてて
こわくてこわくて何度もお祓いにお札にと
小さい時からあぶないやつでした。

でもなんかそれはこわいことで恥ずかしいことで、ちょい変わった人のすることだと思っていたので、写真に映り込んでもこっそりお寺に置いてきたり燃やしてみたり、隠して小出しにして、引かれないか試してた。ほんとこれのおかげで色々邪魔されてた。やばいやつだなあと思われることがいやなんだけども、でももう認めてしまえばいいやん。

これだけ無意識の小さい時からこんなことになってたのに、変なものにとりつかれずにすんでるのは大きなものに支えられているからなんだろう。守られていることを、認めてしまえばいい。

死んだおばさんに会いに行って、帰り道で難聴になったとき、なんて事してくれたんだと思ったけど、あの後胃潰瘍にも鬱にもなり、お陰で笛も吹けなくなり、全て休むことになったから、あれだって守られてた。

今、私が全く体を壊さなくなったのは
自分で調整する能力が上がったからだろうな。
我慢をしてると免疫が落ちてすぐ風邪をひく。
この数年、イライラの日を三日以上連続で過ごしたときしか風邪ひかない。

全ては私の内側にある。そんでもってもっと手の届かないところにある。



もはや
自分の感覚を信じまくって
誰かの常識は、ひとまず表面だけお借りすることにする。

私は
私を笑顔にできるものかどうか
見極める力はものすごく高い。


それを手にするために
もっともっと
感覚を磨いてみる。


あることを認めることからはじめる。
色々出会うのはこわいけど、やってみる。

なんか
わくわくしてきた。