アルケミスト

今この一瞬を大切に。明日のことはまた明日の今に考えよう。

本質

2021-12-29 00:40:00 | 日記
申し訳ないという感情に飲まれて
前を向けない日が続いています。

哲学を勉強している身として
また感情に飲まれるのはちょっと情けないじゃないかと
申し訳ないという思いの本質ってなんだろうと考えてみた。


自分を犠牲になにかをしてもらうとき
身に余るものをいただくとき
時間を割いてしてもらったのに役に立たなかった時
準備してくれたのに気付かなかったとき
誰かの努力を無駄にしてしまったとき

ここに上がる事柄の本質は

取り戻せない他者の労力の損失に対する畏まり、と結論づけたけれど

でもねえ、なんか足りない。
そんなに純粋でもないんだ。
もっと不安に塗れていて、
この不安ってなんだ。
何が不安なんだ、と問うた時
私と言う人間が、人の労力をたやすく損失させてしまう人間だと、そんな酷いやつだと思われたくない、というところに辿り着いてしまいました。なんてこった。なんて自分勝手な。結局は自我にたどり着いてしまったよ。

申し訳ない、は、私への赦しの乞いだったのか…

これは仕方がなかったんだ。
当たり前だなんて思ってないよ、私は。私は本当はそんなに図々しくないんだ。
本当の私はこんなんじゃないんだ。


平野啓一郎さんの「最後の変身」を読んでいてどきっとしたあの感覚が蘇る。

そうか。
私個人の申し訳なさの本質は畏まりだけじゃなくて、私という人間の価値への承認なんだと。

ここまで気づいてなんとまあ恥ずかしいことやら。

こんなにみんなに思いをもらっておきながら、私は自己愛で苦しんでたのか。恥ずかしい恥ずかしい!とにかく恥ずかしさでたまらなくなりました。

こんなくだらない申し訳なさに飲まれず、ありがとうを1万回くらい言う方がマシだと思う。

最近読んだのに、すぐ忘れる。
戒めと自己理解のために。

人間が生きている間、決して消え失せることのない唯一の情欲は自愛である。ルソー



生きるとはなにか

2021-12-20 23:05:00 | 日記
この秋からずっと
私は生きるとは何かを考え続けていて

生きるとは何なのか
全然答えが見えないのです。

ただ生かされている
生きてしまっている中にいて
小さな私の生きる意味をどうにかして作ろうとしてもがいている。

誰かのために生きる自分の意味
何かに尽くす自分の意味

生きることに意味がなければならないのは私のエゴでしかないのだろうと思う。



日常への不安も
一瞬の喜びも
小さな期待も
大きな悲しみも

ただそれを味わうことだけが
今の私が生きていると感じる瞬間かもしれない。

もしそうだとするなら
わたしに起こるすべてのことが
わたしを生かす理由になる。


不安な私も
自信のない私も
楽しめない私も
寂しい私も
よくわからないこんな私も
みんなみんな
愛すべき
愛おしむべき
生きている私なのだと
そう認めてあげればいい。

そう
私に伝えてやってほしい。


明日もただ
どんな私であれ
生きればよいのだと。


それがまた
私を生かすのだと。


久しぶりに

2021-12-20 22:42:00 | 日記
書く、と言うことを随分怠っていたなと思う。

私にとって書くことは
自分を見直す場所であり
自分を殺す場所であり
自分を抱きしめる場所でもあるんだと
やっと気付いた。

ずっと私は内側がすっきりしない。
見えない私の存在がわからなくて
ちらかったまま。

見ないようにすることや
時間で濃度を薄めることも
絡んだ糸をそれ以上引っ張らないためにはとても大切なことだけれども

糸を切るのか
解くのか
そのまま待つのか

その判断をする感度を見失ってはダメだなと思う。

私はそのためにコトバが必要。