改めて思う。
命の器が同じものが集うのだと。
中学の時
宮本輝のエッセイを見て私は
そうか。
周りを見れば、今の私の器がわかる。
周りをダメだダメだと言う時は
私の器がちっちゃい証拠だと。
だって、同じ器のものが集うのだから。
私はそう解釈したわけです。
これは今も変わらず
私の周りには
どうしてこんな人達が集まるのか
疑問で仕方ない日々がここ数年ずっと続いていて
一見素晴らしい人でも
ひどく人傷つける人もいるし。
信じていても
平気で人を傷つける人もいる。
私がそうだったからです。
私が素晴らしくありたいと思いながら自分を傷つけて、自分を信じてるフリをしながら裏切る。
やっぱりみんな器は同じ。
やっとやっと
目が外へと向いた気がします。
そこじゃないし
そうじゃない。
目指すところが変わった瞬間
出会う人がみんな
心から尊敬できる人に変わる。
出会っていた人に
心から感謝できる。
小さなことにこだわっている場合ではなく
もっと遠い先にあるところに向かうための
でかい一歩を踏み出せば
気づけば志同じ人が横を歩いているものだね。
日々、問われ続ける世の中で
未来のために何ができるのか。
私の器が変わりさえすれば
重なる器が変わり
入れられるものも変わる。
この感覚を忘れてはいけないなあと
強く強く思う。