・《僕に命令を与えるものとて誰一人いなくなってしまっていたのだ》
《僕は僕の掟以外の掟は持たないように運命づけられているのだ》
《人間はみんなそれぞれ自分の道を発明して行かなければならないんだ》
『実存主義』ポール・フールキエ著 69ページ
※上記の文章は『実存主義』内での引用
(「蝿」ジャン・ポール・サルトル作 第三幕、第二場)
・おれたちは絶えず突き進んでいるのではないか?それも後方へなのか、
側方へなのか、前方へなのか、四方八方へなのか?(中略)
それをやれるだけの資格があるとされるには、おれたち自身が神々とならねば
ならないのではないか?
『悦ばしき知識』「125.狂気の人間」フリードリヒ・ニーチェ著
【人間はみんなそれぞれ自分の道を発明して行かなければならないんだ】
自分の意志で動き自分で選択する自由は、人間にとっては身に余るものである。
その自由を目の前にすると、人間は絶望すらする。
【それをやるだけの資格があるとされるには、おれたち自身が神々と
ならねばならないのではないか?】
人間の身に余ることをやってのけるには、人間を乗り越えていかなければならない。
[コメント]
今回はみんな大好き、ニーチェ大先生とコラボした。まさに「神は死んだ!」で
お馴染みの寓話から引用している。
サルトルとニーチェどちらも似通ったニュアンスのメッセージを投げていて、
「もはや信じれば俺たちの行く末を導いてくれて、将来を約束してくれる
存在などいない。全部自分の自由意志で決めなければならない」と絶望している。
私たちは国においては憲法や法律があり、学校や職場においては校則や
各種規定があり、家庭ですら掟や約束事がある。
それに「従え!従え!」と言われながら日々立ち回っている私たちに、
自由や選択といった言葉は耳慣れない、ピンと来ないものとして映ることがある。
しかしそんな中でも先に取り上げた「人の持つ唯一絶対の力」というものは
強く働いており、上手く使えば心強い味方になるが、下手をすると破滅に
つながる。
少なくとも精神的な自由は、「何の根拠も、基盤も、支点もない空虚なところに
身を立てなければならない」という途方もないものである。
それこそ「自由からの逃走」や「自由という刑罰」という表現が出てくることが
あるが、それらは的を射た表現だと後々分かるだろう。
私たちは常にこの強大なものと対峙している。それはしんどいことである。
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