卒論の資料集めの過程で『学習性無力感(獲得された無力感)』という単語に
行き当たった。
自分の行動によって嫌悪的環境を打破できないと感じると、人はその困難から
脱する意欲を失うということらしい。
これは誰にでも当てはまることだ。
福本漫画ではその表現が素晴らしい。
「無力っ…!あまりにも無力…!」みたいなナレーションがあったはず。
あと、「どう足掻いても絶望」って表現もそうだな。
俺が感じている無力感は、
【掃除をしてもすぐに掃除前の状態にもどってしまうのではないか】
【道徳や秩序に欠ける輩を見ても指摘できない】
【総選挙でどの政党に票を入れようが現状が変わることは絶対にない】など。
漫画の表現では
【虐待を受けてから次第に抵抗をしたり声を上げることがなくなる子ども】
【侵略を受けて奴隷にされた民衆】など。
一義的にはある種の状態異常なので、外部からの働きかけがあれば
脱することはできるが、無意識レベルまで落ちてしまうと回復可能性は
少ないものと思われる。
無気力な人は往々にしてこの特有の無力感を背負っていることが多い。
問題は、その人間は乳幼児期の段階における親からの虐待やネグレクトなど
によって早々に自分から環境に働きかけることを諦めてしまっているケースが
多いということである。難しいところだ。
学校病理にも関連する事象なので、どのように働きかければいいのかを
検討する必要がある。
振り返ってみると、俺の場合は行動の結果失敗した経験より、
思考実験(シミュレーション)の時点での失敗経験が多い。
自分にとって良い結果を想像し得なかった。
しかし、今後は一度思考実験に失敗しても一縷の望みにかけて行動を起こして
いきたいという意欲がわいた。
俺はまだ終わった人間ではない。
※この記事は8年前に書いたブログ記事を再編したものである。
https://blog.goo.ne.jp/x_overflag/e/50fc74ccd3da4ba7f903b54814575086
【己の無力さを呪うことさえできなくしてやるよ】
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