ある日の夜、仕事帰りの地下鉄で、吊り革に掴まる乗客の背中と背中の通路に立ってぼーっとしていると、妙な視線を感じた。
ふと横を見ると、同じく通路にいた50代と思しきおじさんが、目をカッと見開いてこちらを凝視しているではないか。
カッとされてギョッ!
思いもよらぬものを見ているような眼差しと目が合って、こちらはギョッとしたが、ひょっとしたら自分越しに何かを見ているのかと、おじさんの視線の方向を見る。と、
「あなた、○○さんのお嬢さんでしょ?」
おじさんが声をかけてきた。
“何さん”と言われたのかは聞き取れなかったが、自分の苗字でないことだけは分かった。
「いえ、違います」
「○○さんですよね?」
「違います」
「はい、そうです」と言おうものなら手を握ってきそうな様相で、見知らぬおじさんの両手は中途半端に差し出されたまま、行き場を失っていた。
「ホントに違うんですか?」
「違います」
視線を逸らさず、首を捻るおじさん。
「おっかしいなあ、○○さんのお嬢さん……(ぶつぶつぶつ)」
目を見開いたまま、おじさんは納得がいかない様子で電車を降りていった。
それからしばらく経ったある日の夜、やはり帰りの地下鉄で、吊り革に掴まる人の背中と背中の通路でぼーっとしていると、またもや妙な視線を注がれていた。今度は二十代の女性二人組みだ。目をまん丸にして、こちらを凝視しているではないか。
まん丸目にパチクリ!
思いもよらぬものを見たようなまん丸な眼差しを受けて、こちらは目をパチクリしてみたが、ひょっとすると自分越しに何かを見ているのかと、彼女らの視線の方向を見てみる。と、
「○○さん?」
二人組みの一人が声をかけてきた。
「違います」
「エーーーっ」
二人して息を吸いながらの「エーーーっ」に、こちらは無言の「エーーーっ」である。
前回のおじさんが言っていた“○○さんのお嬢さん”と、彼女らの知っている“○○さん”は同一人物なのか?
声をかけてきた女性が、念を押すように「違うんですか? 違うんですね?」と訊くので、「違います」と答えると、またもや息の合った「エーーーっ」と驚嘆のリアクション。
「ホント、そっくり」
「すっごい似てる」
彼女らのよく聞こえるひそひそ声を浴びながら、それほど自分に似てる人がいるなら会ってみたいものだと思った。
しかし、いくら他人が似てると思っても、自分で自分に似ている人を見て「似てる」と思うものなのだろうか?
案外、そっくりと言われる当人同士は、「そうかなあ?」くらいにしか認識できないのではないだろうか。
そんなことを考えているうちに、私にそっくりな人を知っている彼女らは「すいませんでした」と謝りながら電車を降りていった。
「世の中には自分と似た人が3人いる」と言うけれど、もし今度、もう一人の自分かもしれないそっくりさんに間違えられることがあったら、別の自分の素性について訊いてみようと思った。が、二度あったことの三度目はないまま、私はその地下鉄沿線を離れてしまった。こんなことなら、二度目の彼女らに、そっくりな自分のことを尋ねてみるべきだったとたまに思う。
ところが昨夜、編集者のクマさんに、G大学同窓パーティの写真を見せてもらっているときである。
「あれ、私がいる」ではないか。
髪の長さは少々違うが、自分で自分と思うほど、自分を見るように似ている。
パーティ会場の食べ物を前にして、嬉しさを隠せない表情。
お気楽そうな雰囲気までもが似ている。
写真を見せていたクマさんも、「なんで(同窓会の写真に)写っているのかと思った」と言ったほどだ。
ちなみに、クマさんは私よりずっと年上で、写真の方は若く見える方であることを断っておく。
あまりにも自分に似た人物を見たので、地下鉄のエピソードを思い出したのだが、写真の人はあの○○さんなのだろうか?
それとも、地下鉄の○○さんが一人目で、二人目のそっくりさんなのだろうか。
いずれにしても、実際には会ってはいないそっくりさん。
前回は「いるらしい」ことをほのめかされ、今回は写真で発見。
もしかしたら次は、ご対面もあり得るかもしれない。
そのときが来るのを期待しているが、まだない。
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