大東亜戦争に従軍した父は、悲惨な戦いであった「インパール作戦」の一員でもあった。
運転免許を持っていた父は、自動車部隊に配属されたのです。
戦争で何が大事かと言えば「ロジスティスク」ですね。
武器、弾薬、そして 食糧 の補給がなければ、戦うこともできないし、食うこともできない。
それがまったく無かったのですね。インパール作戦は。
これほど無謀な作戦はない。
戦争で戦いに負けるのではなく、飢えで死んでゆくのだ。
これほど辛いものはないでしょう。
丈夫で、しかも何でも食べられる人間だけが生き残ったのです。
(食べるものはほとんど無いが・・・)
ウキペディアのインパール作戦解説はこちら
敗戦後、捕虜となりタイ国に拘束。
帰還したのは、昭和21年の6月であった。
出兵の時に送り出された近所の神社に帰り、湧き出る水が最高に美味しかったと言っていました。
小生は小さい頃、よく戦友会に連れていってもらいました。
熱海が多かったかな。昭和30年代だからね。
その戦友たちもほとんどこの世に居なくなってしまい、戦友会も開かれなくなってしまった。
昨晩は30名以上集まったが、歴史を伝えることも大切なことだと思う。
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