市川稔の米(マイ)情報

議場のヤジ

東京都議会


35歳、女性都議会議員が質問中に性差別的なヤジを受けた。


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ヤジは誰か?  本人が申し出た。


頭下げる姿


会派離脱だけでは済まないだろう。



他にもいるはずだ。 出て来なさい。 ひとりにすべての責任とらせるのは卑怯だ。



余談ながら、今どきは「卑怯」とか「」ということを言わなくなった気がする。





品のないヤジほど醜いものないな。


海外でも報道

こんなことで日本全体を評価されたらたまらんね。




聞いてる方、聞かされる方がぐうの音も出ない、爆笑が起こるユーモアたっぷりのヤジを言ってみなさいって。


その場に合う名言のヤジなら効果あるが、セクハラまがいの下品でくだらないヤジは最低。


発言の内容でその議員の人間性、おつむの内容が一発でばれてしまう。


一発で議場を笑いの渦に巻き込むようなヤジを言ってみぃ。

そういうヤジなら逆に人気も出る。

つまらないヤジ、低俗なヤジほどつまらないものはない。

都議会、反省せい!

国会もひどいな。

テレビカメラがまわっている時だけよそ行きの顔してるそうな。






少々長いが、そして少々古い政治家だが「三木武吉」先生のエピソードとやじを以下に。



初当選した1917年(大正6年)の第13回衆議院議員総選挙の演説会において、立憲政友会の候補、坪谷善四郎が「名前は言わないが、某候補は家賃を2年分も払っていない。
米屋にも、1年以上ためている。このような男が、国家の選良として、議政壇上で、国政を議することができるでありましょうか。
この一事をもってしても某候補のごときは、いさぎよく立候補を辞退すべきものと、私は信ずるのであります」と三木を批判した。
すると三木は次の演説会場で、「某候補がしきりと、借金のあるものが立候補しているのはけしからんと、攻撃しているそうだが、その借金がある某候補とは、かく言う不肖この三木武吉であります。
三木は貧乏ですから、借金があります。米屋といわれたが、それは山吹町の山下米屋であります。1年以上借金をためているといわれたがそれは間違いで、じつは2年以上もたまっております。家賃もためているのは2年以上ではない。正確にいいますれば、3年以上も支払いを待ってもらっておるわけです。
間違いはここに正しておきます」と反論し、会場は拍手と爆笑に包まれ、「えらいぞ、借金王」と野次が飛んだ。その会場には、三木の大家や借金先の山下米店の主人山下辰次郎も来ており、その後、三木に促されて両者とも立ち上がった。その時山下が「私は米屋の山下です。どうか皆さん、三木先生をご支援願います」と述べ、すっかり参った坪谷はそれ以来三木の借金の話をしなくなった。

戦後、公職追放解除後の第25回衆議院議員総選挙では、選挙中の立会演説会で対立候補の福家俊一から「戦後男女同権となったものの、ある有力候補のごときは妾を4人も持っている。かかる不徳義漢が国政に関係する資格があるか」と批判された。
ところが、次に演壇に立った三木は「私の前に立ったフケ(=福家)ば飛ぶような候補者がある有力候補と申したのは、不肖この三木武吉であります。なるべくなら、皆さんの貴重なる一票は、先の無力候補に投ぜられるより、有力候補たる私に…と、三木は考えます。
なお、正確を期さねばならんので、さきの無力候補の数字的間違いを、ここで訂正しておきます。
私には、妾が4人あると申されたが、事実は5人であります。5を4と数えるごとき、小学校一年生といえども、恥とすべきであります。1つ数え損なったとみえます。ただし、5人の女性たちは、今日ではいずれも老来廃馬と相成り、役には立ちませぬ。が、これを捨て去るごとき不人情は、三木武吉にはできませんから、みな今日も養っております」と愛人の存在をあっさりと認め、さらに詳細を訂正し、聴衆の爆笑と拍手を呼んだ。

「およそ大政治家たらんものはだ、いっぺんに数人の女をだ、喧嘩もさせず嫉妬もさせずにだ、操っていくぐらい腕がなくてはならん」と、男っぷり溢れる発言をしたり、松竹梅といわれた3人の妾を囲ったり (ちなみにこれは、愛人のランクではなく、実際に名前が松子、竹子、梅子だった) した。
松子には神楽坂で待合茶屋を持たせた。晩年も精力に衰えはなく、72歳で亡くなるときも愛人が5人いたという。しかしその一方で愛妻家でもあり「本当に愛情を持ち続けているのは、やはり女房のかね子だ。ほかの女は好きになった…というだけだ」と述べている。妾たちもかね子を別扱いにして、世話をしていた。

東條英機内閣が提出した企業整備法案について党議決定する翼賛政治会代議士会で、中野正剛が翼政会の幹部を指差して「おおよその権力の周囲には、阿諛迎合のお茶坊主ばかりが集まる。これがついには国を亡ぼすにいたる。日本を誤るものは、翼政会の茶坊主どもだ」と発言し、主流派議員が中野を野次った時、にわかに立ち上がり「茶坊主ども、黙れ!」と、野次る議員を黙らせた。
死期が迫った1956年、枕元に呼んだ馬場元治に「こどもをよろしく」と消え入るような声で伝えたが、馬場は「妾もたくさん、子もたくさん。さてはて、どの子どものことか」と思ったが、三木が亡くなってからはたと気がついた。「こども」は「子ども」ではなくて「こだま=児玉誉士夫」のことだったのだ。



やじ[編集]
前述のとおり、原敬内閣の高橋是清大蔵大臣が海軍予算を説明中、「陸海軍共に難きを忍んで長期の計画と致し、陸軍は十年、海軍は八年の…」と言いかけたときに「ダルマは九年!」とヤジった。
これは、高橋のあだ名の「ダルマ」に、「達磨大師(だるまたいし)が、中国の少林寺で壁に向かって九年間座禅し、悟りを開いた」という面壁九年の故事をかけた、機知に富んだものだった。議場は爆笑に包まれ、高橋も演説を中断して、ひな壇にいた原を振り返り、苦笑いした。普段から謹厳なことで知られる加藤高明や濱口雄幸までが議席で笑い声をあげたという。
原内閣のある閣僚が、何の抑揚もないお経のような調子で、提出法案の趣旨説明をすると、一区切りついたところで「次のお焼香の方、どうぞ」とやじり、議場は爆笑に包まれた。
赤線関係のボスである大阪選出の立憲政友会議員が、その議席からまったく議場に通らないような声で、「一身上の都合で弁明したい」と発言しくどくど弁明を始めると、三木は、「どうぞご登壇ください、ご登壇を」とやわらかくヤジった。その代議士が壇上に上がり一礼すると、「お名前は?」とヤジり、その代議士が「○○だんね。覚えときなはれ」と大阪弁で名乗った。するとすかさず「ご商売は?」とヤジり、その代議士は何もいえなくなってしまい、その人物の職業は誰もが知っているため、議場がわいた。(WiKiより)








このくらいの度量が欲しいね。


求める方が無理かな。

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