市川稔の米(マイ)情報

コメ消費多い時代の話し

コメ消費、自宅で食べる、自宅以外、職場や食堂で食べる、買ってきて自宅で食べる

コメ以外でも食べる、飲むということは毎日続く

40年以上前のこと書いたのでそのもっと前のこと

1975年、昭和50年のことでした

現在、弊社の会社がある東京都町田市

当時、小生の会社は神奈川県海老名市にありました

小生23歳になる年齢の頃です

町田市には急激に増える労働人口のため団地が造成されていました

巨大な団地です

鉄筋コンクリート5階建て、エレベーターはない

駅までバスでかなり時間かかる

それでも、水洗トイレがあるだけで都会の生活という感じでした

よし、そこに米売りに行こうということに

団地の自治会と話しをして、日曜日の午前中、トラックから米の即売会をやることになりました

2トントラックに10㎏のコメ400袋くらい積んで

現金即売

当時、食管法(食糧管理法 昭和17年、戦争中に出来た法律)がまだ生きていて

米販売は登録制、販売区域も隣接市町村まで、県をまたぐなどもっての他

そういう時代でした

お米販売は登録店でしか販売していない

新しく出来た巨大団地に米屋は無い・・・

電話などで注文して配達してもらうというのが一般的でした

米屋は競争相手が同業しかないわけだから殿様商売

そんな中、日曜日に売りに来てくれるわけだから大歓迎

飛ぶように売れました

千円札をがっつり抱え帰途に

ある時、帰りにお腹空いたと入ったレストランに


ひらがなで「すかいらーく」と書いてありました

そこから小生のコメビジネスの世界は広がって行きます・・・



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