市川稔の米(マイ)情報

ノーリスク症候群

日本人はいつからつまらない人間が増えたのか?

ノーリスク症候群とは、親しくさせて頂いている先生が云っている言葉です。


日本の戦後教育そのものにも問題がある。

しかし、人間が人格形成されてゆく過程は、親の影響がなんといっても一番ではないでしょうか?

ここで云うノーリスクとは、危険回避、責任回避、挑戦回避など、自らの責任においてという気構えがないことを意味しています。


特に大企業がひどいね。

プロジェクトXが取り上げる企業は、日本が高度成長時代である例が多いですが、会社の上層部を説得したり、内緒で研究を続けたりというような、オレ達がなんとかしてみせる! そういう気概を持ち、仕事をしていますね。

ノーリスク症候群企業は三菱自動車など典型的でしょう。

どういう理屈かと言うと、会社を守ることはすべてに優先するというものです。

それは言い換えれば、自分を取り立ててくれた「先輩」を守ることを意味しています。

先輩が居なくなると、自分の存在がないからです。サラリーマン社会の一番悪い点です。

重大事故につながるクレームを隠す。コトを大げさにしない。

そして、問題を先送りにすることです。

問題が過ぎ去ること、忘れてもらうようにじっとしていることです。

担当が替わるのを待っているわけです。



最近、若い人達にも少し興味を持つ人が増えているそうですが、武士道があります。

武士道とは簡単に解釈すれば、「自分の命より優先することがある」

そういうことではないでしょうか?

現在は逆に「自分や会社を守るために優先することがある」

そういう理屈でしょうかね。


日本語から消えつつある言葉の一つに

「恥を知れ」

があります。

古き米作り社会の日本(たった数十年前まで)は、どこにいっても「共同体」として生活していました。

キリスト教を日本に布教するために来た宣教師は、本国に対しての手紙に驚きを隠さないで事実を伝えています。

それは、きちんとした宗教がないのに、人々は礼儀正しく、泥棒や犯罪が極端に少ないと。

それは、世間という共同体に迷惑はかけられない。

そういう教えであったと思います。

小生は今年53歳になりますが、何をしても良いが、世間から後ろ指指されるようなことはするな。そういう教育を受けたように思います。

それが「恥を知れ」であったかと。



一部の人間で良いから、挑戦する気概を持って人生を歩んで欲しい。

安定した生活なんて、そんな退屈なものはない。


小生は今まで、波乱万丈の人生(たいしたことありませんが)をしてきました。

しかし、過去は反省しても後悔はしません。

後悔してみたところで、時間は逆戻りしません。


自分のライフスタイルを大切にしてゆきたい。




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コメント一覧

kawazu
ノーリスク症候群
最近聞きますよね。

1/1000000の確立のリスクを恐れて大騒ぎする割には

1/1000の確立のリスクを恐れなかったり

リスクをリスクとして受け止められなくなってきているんでしょうか?

小学校のPTAにおいても、上記のようなことで大騒ぎしている父兄をたまに見かけます。

安全は与えられるもの、そう考えている人が増えてきているような気がします。

もしかしたら、私の考え過ぎでしょうか?
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