80年前のことです
大東亜戦争(第二次世界大戦)で日本陸軍の作戦のこと
インパール作戦
80周年を記念し記念碑というニュースを見ました
遠い過去の出来事のようですが、小生にとっては子どもの時から知っていた
父親がこの作戦に従事していたのです
戦友がたくさん亡くなったことも聞いていました
日本軍の死者3万人といわれていますが、ほとんど病気や栄養失調
戦争で一番大事なのは兵站
兵站とはWikiによれば
兵站(へいたん、英語: Military Logistics)は、軍事学上、戦闘地帯から見て後方の軍の諸活動・機関・諸施設を総称したもの[注 1]。戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、また、実施する活動を指す用語でもあり、例えば兵站には物資の配給や整備、兵員の展開や衛生、施設の構築や維持などが含まれる。
英語でMilitary Logisticsという
物流会社が〇〇ロジスティクスなどというのはこういうところから来ている
父親は自動車部隊だった
まさに兵站の一翼を担うわけだが、現実はまったく違う
食糧、物資、弾薬を前線に送らねば戦えないわけだが
無謀な作戦はそれが無い・・・
生き延びて帰国した戦友とよく「戦友会」が行われた
なにせ、徴兵されすぐに南方に送られた部隊は東京、神奈川の出身者多かったようだ
戦友会は熱海や湯河原の温泉地の旅館で行うことが多く、
そこに小学生だった頃よく連れて行ってもらった
宴会も佳境になると、武勇伝の話し、よく生き延びたという話し、
亡くなった戦友のために生き残った我々は祖国のためにがんばろうという話し
なので、小学生だったが軍歌覚えた
芸者さんから可愛がられた(笑)
父親、もうその戦友含めて全員天国に行っている
生き残った人達がそれぞれ想いを書き綴って出版した本
出版は昭和60年10月
420ページに及ぶ本
父は編集委員のひとりでありました
記念碑のことあの世で喜んでいるだろう