市川稔の米(マイ)情報

JC同窓会

小生が日本青年会議所の経営開発委員会委員長をさせていただいたのは1987年(昭和62年)でした。

成長する日本経済。

1980年代は日本の成長を疑う人は少なかった。

ジャパンアズナンバーワンなどの本が売れた時代です。

委員会は総勢100名ほどで、4つの小委員会に分かれていました。

その時代は団塊の世代が現役なので会員数が多かった。

所属青年会議所から出向という形になりますが、供給より需要の方が多かった。

100名の委員会に対しておよそ2倍の申し込みがありました。

そんな時代ですから、出向者も希望に燃えてそれは活気がありました。



ある、メンバーからLINEで連絡があり・・・

当時のメンバーに会いたいと。

その時の小委員長は病気で亡くなっている。

なので、小生の出身のところに集まることになりました。

私を含めて10名ほど集まりました。(小委員会は24名)


個別には会っているものの、27年ぶりに再会する人が大半で。


年齢は平等に重ね、

髪は薄くなり、

順調に人生を歩んできた人もいれば、小生のように波乱万丈の人生の人も。


全員の報告会を懇親会の中で行いました。


事実は小説より奇なりと申しますが様々な人生模様がありとても興味深くそれぞれ聞き入っておりました。



海老名で行いましたので、現役理事長や次年度予定者含め5名で手土産持って挨拶に来てくれました。

懇親ゴルフではOBですが後輩がホテルとゴルフ場送り迎えしてくれました。


青年会議所は卒業してからが真価を発揮します。


参加してくれた昔の友人、海老名の後輩のみんな、ほんとうに有難うございました。









私の一番ホールティーショット。
夏の富士山も美しい!


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