稲の畑を鋤いていると、陽は真上にのぼる
汗は滴りおちる 稲の根もとの土の下
誰が分かろうか、茶碗の中のご飯の
一粒一粒が、皆、こうした苦労の結実であることを
子供の頃、ご飯茶碗に飯粒がへばりついていたりすると、必ず祖母に叱られたものです。曰く、
「このご飯の一粒一粒には全部、仏様が宿っていらっしゃるのだから、一粒たりと捨ててはいけないのだよ。もっと丁寧に食べなさい」と。
仏様をモグモグと歯で噛んだりして罰が当たらないだろうか、と心配する程に幼くはありませんでしたが、流し場に残った米粒を手ですくって、雀の餌にと庭にまいていた祖母の姿は、食物を大切にする、という理念を具体的に教えてくれていました。
稲を作るのは太陽との戦い、その太陽は真夏の陽射し、農薬も機械も無かった時代の農家の人達の苦労がよく伝わる詩です。
李紳は宰相にまで出世した人物だそうですが、農民の心をこんなに理解している人でしたら、安心ですよね。
↑引用終わり
現代日本の米作りほど楽なものはありません。
皮肉なもので、有り難さがその分薄れたみたいです。
しかし、モノの有り難さ、食べ物の有り難さ、特にコメの有り難さは伝えて行かなければならないと思う。
出張先ケータイより
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