市川稔の米(マイ)情報

9月になりました

今年は台風の当たり年。

猛暑の影響で海水温が高いので日本列島に近づいた場合勢力が落ちない。

逆に勢力を増すことも。

台風21号が日本列島に近づいています。

このブログでも9月、10月の台風を警戒と書きました。

5日、6日は愛媛県に行く予定でしたが、会合そのものが中止になりました。

時間をプレゼントしてもらった気になります♪


9月はお米の収穫期にあたる地域が多い。

大切な時期です。


被害がないことを祈ります。



さて、日本経済新聞の裏一面の文化のページには「私の履歴書」があります。

ひと月の連載。

いつも楽しみに読んでいます。

9月は「すかいらーく」の創業者(4兄弟の一人)「横川 きわむ(漢字を表記できない。すいません。)」さんです。

80歳にしてまだ現役!

尊敬する人です。


小生にとって、若い時の強烈な思い出があるので楽しみ。


それは、1975年(昭和50年)のこと。

当時、神奈川県の海老名に会社ありました。

小生、23歳になる年齢。

東京都町田市に巨大団地がたくさん出来ていました。

今では高齢者団地になっていますが、当時は子どもがたくさんいて活気に満ちていました。

食管法の時代、団地が出来て住民が増えても米屋は増えない。

「売ってやる」という姿勢のところが多かったように思う。

団地の自治会と話しをまとめて。

日曜日の朝、トラックに満載した白米を団地内で即売してた。

午前中に4トンくらい完売していたと思う。(ほとんどのお客様が10kg2袋、3袋買う)(ひとりあたりの食べる量が多かった)

食管法無視!

札束抱え戻るのですが、その時にランチで寄った店が「すかいらーく」だったのです。

店は大きい、洋食だが、ライスとのセットが多い。(当時は普通盛りで300gだった)

こういう店でお米使ってもらったらよいと思い。

当時、営業部長だったので名刺を店長に。

店長曰く、弊社はチェーン店なので、そういうお話しは本部で伺っております。

後日、アポとって本部に伺い、その時に会っていただいたのが横川みわむさんだったのです。

食管法では米小売店の営業範囲は隣接市町村までと決まっていた。

もちろん、県をまたぐこともNG。

その時、20店舗でしたが、米屋6社と取引していて品質違うし、困っていました。

わたしは言いました。

弊社は国際免許なのでどこでも納品出来ます!

数か月で全店舗まかせていただきました。

とにかく、お米は良いもの使いたい、ごはんは料理のキモという考えがありました。

それから快進撃が始まる。

1975年からの20年近くは黄金の時期でありました。

レストランビジネスとの出会い。

強烈な思い出があります。




今月の私の履歴書。


楽しみです!



有料会員限定ですが電子版でも見れます。


日経 私の履歴書

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コメント一覧

まーさん
天網恢恢疎にして漏らさず
私がまだ働き始めた頃、ある方からこれからの長い人生の教訓として教えて頂きました。
未だに出来たり出来なかったりですが(笑)
確かにビジネスは先にやった者勝ちで、時には生き馬の目を抜くことも厭わない世界で、成功すれば隆盛を極めるでしょう。でも法を犯したのであれば何れはその対価以上のものを背負わなくてはいけなくなるような気がします。
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